コルブリン(The Kolbrin)は極めて古い書物である。4000年以上前に、エジプトの学者によって編集された「偉大なる書」(The Great Book)とよばれる古代エジプト語の写本全21巻が原本となる。古代フェニキアが興隆した時代にフェニキア語へ翻訳された写本がイギリスを含めたヨーロッパ各国へもたらされた。
殆どの写本が消失した。ケルトの信仰を受け継ぐドルイド僧たちがお勤めをしていたグラストンベリー修道院にもフェニキア語の写本があった。しかし、キリスト教が勢力を獲得していった時代、あらゆる非キリスト教的な「異端なるもの」を排除していく動きの中で、西暦1184年、イギリス王ヘンリー二世は同修道院の焼き討ちを敢行した。その時ドルイド僧たちは、「偉大なる書」の何割かを持ってスコットランドへ逃れた。この時救済された写本を「エジプト原本」("Egyptian Texts")と呼ぶ。ドルイド僧たちはそこで、救済された「偉大なる書」のフェニキア語の写本の何割かをブロンズ板へ書き写し、銅で装丁した木箱へおさめた。これを「ブロンズ・ブック」("The Bronzebook")と呼び、コルブリンの前半6章に反映されている。
ドルイド僧たちは「偉大なる書」に触発され、自分たちの間に伝承されている太古のケルトの知恵を同じように書物にしたためたいという欲求に駆られ、「コール・ブックのケルト原本」("Celtic Texts of the Coelbook")※注1、いわゆる「ケルト原本」を編集した。ヘンリー二世の襲撃の時、このケルト原本も一緒に持ち出され、コルブリンの後半5章の元となっている。
時が下り、18世紀になって、「ブロンズ・ブック」と「コール・ブック」を合併し、コルブリンとして一つの書物にまとめられ、古英語へ翻訳された。その後、この写本はロンドンへ移され、現代英語へと更新された。現在では、コルブリンの管理者はもとの書物にはなかった聖書のような引用体系を整備し、商業出版として現代にその知恵を甦らせている。
コルブリンはキリスト教の「検閲」や「改ざん」を受けていない、素のテキストを現代まで伝えている。太古の昔、どのような知識が人々に知れ渡っていたのかを知ることができる。
コルブリンは、聖書と同じように、神が天地創造するところから話が始まる。様々な登場人物が登場するが、エジプト神話のオシリス神のモデルとなったらしき人物も出てくる。人が守るべきモラルや罰に関する記述もある。
栗仙人は"21st Century Master Edition"のペーパーバック版を持っているのだが、インデックスを除いた547ページ中、325ページまで読み進めた。ブロンズ・ブックの最後にあたる"Book of Morals and Precepts"の途中までだ。だから、古代エジプトに伝わる知識で現代まで伝わるものをほとんど読んだことになる。
コルブリンには一体どのような事が書かれているのか?一言でいえば、人間の魂の真実について・・・だ。人間は牢獄に入った囚人のようなものであり、外の世界を見ることができない。人間の目はサルの目と作りは一緒だ。その生活圏である物質世界しか見ることができない。しかし、目に見えないからといって、その外部の世界が存在しないということにはならない。現に、デカルトではないが、思考するところのワタクシは存在している。しかも、それはワタクシの肉体そのものではない。現代の科学技術は物質世界を子細に調べることにより発展した。おのずとそのやり方や見方には限界があることを悟らねばならない。
人は死後も存在し続ける。そして、新たな行動と経験の為に、再び地上へ生まれてくる。
まっとうな人がたどる道には二つの種類がある。「右手の道」はこの地上的な仕事を引き受け、この地上の進歩に寄与するものである。「左手の道」は霊的な仕事や人々の教化を引き受けるものであり、人の心へ作用する生き方である。
人の行いには厳然たる善悪の区別がある。「神の定めた掟」に従って、人はその「究極の目標」へ向かって「巡礼の旅」を遂行していく。人の数だけその経路が存在する。人の「究極の目標」とは何か?それは「栄光なる者」("Glorious One")となることである。その段階に達した者は、もはや地上へ生まれて来ることはない。神より小さな世界を与えられ、そこで再び新しい創造を行っていく。「栄光なる者」の次なる目標は、自身が新たな「神」となることだ。
死後の世界は厳かである。地獄も天国も存在する。人は死後に、公衆の面前で審判を受け、その人の行いや思考は、隠れたものも含めてすべて暴露される。「悪」に染まった魂は、自らの重みで自然に暗い世界へ降りていくことになる。「善」の方がまさる魂は自分に相応しい世界へ帰ることができる。
善悪というものは、人知で推し量ることが難しい。悪のように見えて善であり、善のように見えて悪の場合もありうるだろう。実際に死んでみないと分からないものだ。しかし、少なくとも自殺は重い罰を受けることを肝に銘じておくことだ。人は自分の試練や使命を捨て、自ら世界を終わらせることが許されないのだから。
人は死後、自分の魂の兄弟たちと会うことになる。彼らは独立した存在ではあるが、共に経験を共有しており、そのための「装置」を「コハール」("Kohar")と呼ぶ。
神が地球を多数の生命で覆ったとき、人間の霊には特別に「神の火花」を埋め込んだ。人は他の生物と異なり、神のあらゆる性質を継承しているのだが、その多くは封印されている。人は自力でその能力を開発し続けて行かなければならない。
人間の中には、特別な資質をもち、霊的に覚醒することに成功した者たちがいた。彼らは「二度生まれし者」("Twice Born")と呼ばれ、特別な密儀によりその能力を覚醒させる。密儀ではある種の仮死状態を体験するらしいのだが、失敗した者は二度と起き上がることはない。
コルブリンに記載されている内容は、その時代に世間でよく知られていた事であったようだ。だから、「二度生まれし者」が知っているよりもずっと浅い知識であったはずだ。しかし、われわれ現代人にとっては、この程度の知識で十分であるように思う。何せ、やらねばならないことが他にも色々とあるわけだし、それ以上知っていても仕方がない。オカルトに傾倒するよりも、目先の仕事を片付けてしまうことの方が重要なのだ。しかし、指針としてこのような知識を知っておくのは、よりよい人生を送っていくためにも良い事なのではあるまいか?
コルブリンは商業出版としてアマゾンなどで購入することができる。しかし、引用体系のついていない古い「バージョン」は、パブリックドメインとしてPDF形式で一般公開されている。The Kolbrin Bible.pdf ※注2にて閲覧するこができるし、そこでPDFをダウンロードすることもできる。引用体系がついていないので、文書内のどの章の、どの節の文章なのかということを指示するのが困難である以外は、コルブリンの殆どの内容を把握することができる。ただし、ペーパーバック版の最後にある"The Britain Book"は欠落しているようだ。
栗仙人は商業バージョンのペーパーバック版も購入した。"21st Century Master Edition"と呼ばれるもので、アマゾンで購入することができる。もちろん、Kindle用の電子版もあり、電子版の方はべらぼうに安い。
"The Kolbrin Bible"(ペーパーバック) |
"The Kolbrin Bible"(Kindle版) |
コルブリンの邦訳は今のところ無い。その内容を知りたければ、英語版を読破する必要がある。しかし、日本語しか分からない人でも、コルブリンを読んでみたいと思う人がいるかもしれない。
コルブリンには、幸い、パブリックドメイン版(The Kolbrin Bible.pdf) ※注2が存在している。パブリックドメイン版には引用体系がマークされていないが、太古の知恵を知るだけであるならば十分だ。栗仙人はこのWEBサイトで、このパブリックドメイン版の翻訳を少しずつ公開していこうと考えている。
目次 |
献辞 |
前書き |
序文 |
ブロンズ・ブックへの挨拶またはプロローグ |
創造の書 |
選集の書 |
巻物の書 |
炎の子等の書 |
写本の書 |
道徳と戒律の書 |
起源の書またはフェリルの書 |
銀の大枝の書 |
ルシアスの書 |
知恵の書 |
日本語訳あとがき |
注1:"Coel"の音の日本語表記は、Coel - Meaning of Coelによれば、「コール」とするのが妥当であると思われる。
注2:当該リンクは既に切れている。(2022/11/23時点)
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