ブロンズ・ブックへの挨拶またはプロローグ(現今、コルブリンに編入された)

こんにちは、「未だ生まれざる者たち」よ、目下の所、未来の暗い胎内でまどろむ者たちよ。かつて現在の貴方のようであった、そして貴方がいつかなるであろう我々からの挨拶の言葉。我々も希望を抱きそして恐れたし、疑いそして信じたのだ。

過去から未来への贈り物を選んでいたとしたならば、それはどのようなものであろうか?王たちによりひそかにため込まれた黄金の宝か?女王により愛された輝く宝石か?俗世間の富がまだ貴方にとってそんなに重要なものなのか?もしあなたが何にもましてそのような選択をする気があるならば、我々は失望する。というのも、我々の仕事が無駄なこととなってしまうからだ。

むしろ、生命や永遠の若さの秘密を選びませんか?今日に生きて笑う者たち、未来へまったく思い至らない状態で、そんな彼らからそれっぽっちしか改めてきていないんでしょうか?それほど魅力的なこういった事が貴方のものであるならば、貴方はそれを大切にしませんか?そういった事に決して飽きないでいてくださいますか?千年が経過した後に、貴方はまだそういった事をありがたく思っていただけますか?そういった人生がすべてであり、始まりと終わりであり、それ自体で完結しているならば、答えは「イエス」であろう。しかし、この人生は序曲であり、無限に荘厳な何かに対する序章に過ぎない可能性があるのではなかろうか?これらの言葉を読んだ後であっても、その謎がまだ未解決であり、長年に渡る秘密はまだよく保持されているし、極少数によって知られるのみであると言えるのであろうか?進歩なしにどれだけの世代が過ぎ去ったであろうか?人類は未だ霊的無関心の海の上の流木のように、気まぐれな風やせめぎ合う海流に行ったり来たりと押し流されてまったく前進せずに消極的に漂っているのであろうか?

我々は貴方が労苦無しに、あらゆる贅沢や快楽に囲まれた人生を生きることを可能とする知識を残すことができるのであろうか?すべての願いを叶える魔法の石、すべてを癒す妙薬、飛行能力や地上のすべてのことを知る力、そういった事のどれかが貴方の心の望みを満足させ、貴方の夢を実現するのであろうか?そのような来し方をこれまで辿ってきた我々は、貴方がそのような取るに足りぬ願望を超越して進歩してきたのだと固く信じている。

そのようなものごとを与えることは、我々の力を超えるものであり、そのような与える力が我々のものであったとしても、そういったことは差し控えるであろう。というのも、贈り物が便益を与えるものでないならば、与えられない方が良いからだ。貴方と同時代の人々の知恵をもって、言ってみてほしい、言及したものごとのうちどれが本当に貴方の便益となるのか、あるいは良くはなくても悪くはないと分かるであろうか?それとも、貴方はまだ貴方の本当の性質や必要について知らないままでいるのか?

貴方が誰であり、どのような言葉を話し、どのような服装をしているのか(貴方は我々とまったく同様な形をしているのであろうか?)については、我々は知ることはできないし、想像することもできない。貴方は我々の同胞であり、我々がかつて歩いた道を旅している、その事だけが真実であると我々は知っている。我々は一つの運命を共有しており、同じ本当の目的を持っている。我々が貴方の時代にそれらが何であるのかを知らないのは、我々の時代と同じであるけれども。我々に対するように、貴方の人生は求められずにやってくる。それは問題や困難に満たされており、光と影が交錯し、そして我々のように貴方は最後に何が待ち受けているのかを見て疑問に思う。貴方もまた、地上の惑わしの犠牲者である。貴方もまた、貴方の理解を超えた「真実」と「達成」を見出すのである。そして貴方もまた、美と善を希望するのである。貴方に関してこれらのことを我々は知っている。そのようでなければならないし、さもなくば、貴方は存在しないであろう。 貴方に必要な事は我々のものとは違わないのだが、貴方は確信を持ってそれが何かを知っているのか?貴方の人生は同じ目的に尽くしているし、同じ原型の一部であるし、同じ推進力や衝動に従っている。しかし、貴方はなぜあるいは何の目的に対してだかご存じか?我々は、死の帳の向こうに何が存在するのかに関して、貴方が確信と自信を持っていないことを知っている。というのも、これらの知識は人がただの人であり続ける限り与えられることはないし、たぶん我々のように、貴方は疑念と信頼の間で宙づりのままとなる。

我々の「今だ生まれざる友」どもよ、貴方の人生の状況がどのようなものであれ、貴方は過去の子であり、生きて死んだ人々の継承者である。我々は、貴方がかつて貴方の財産の管理をした者を叱責する理由がないと固く信じる。が、貴方がその遺産についてどのように考えようとも、人生の責務を拒むことにも増して貴方はそれを脇へやることはできない。もしかすると、その遺産は貴方に幸福と安心を、平和と我々の知らなかった豊富さをもたらすかもしれない。もしそうであるならば、この本は読まれないで残るであろう。というのも、貴方にとって目的に供しない、無数の言葉に過ぎないであろうからである。もし貴方が十分知っており、これまで進歩してきたのであるならば、我々が与えるものは何も便益とはならないであろう。旅人にとって、通ってきた道に関する情報は無価値であるからである。もし貴方の状態がそうであるならば、我々は貴方を称賛し、我々が骨を折りその短い畝間を耕した長い暗黒の年月の中で身ごもった、我々の価値ある光の子、そんな貴方を誇りに思う。貴方は良くやったし、我々の最も大きな喜びは、誇らしげに無上の神性の栄光を得ようと手を伸ばした貴方のそばに立つことであろう。

しかし、貴方は我々よりも啓発されていないかもしれない。その場合は、我々が提供するものを後悔、貴方の先に立った人々の代わりに償いをする願いのしるしとして受け入れてほしい。というのも、もし貴方が霊的暗愚の中で迷い続けていると、貴方がたではなくその先人たちが非難されることになるからである。

我々はこれを、幾世代にもわたり集められた知と「真実」の収穫の蓄積を含む「隠された本」を、貴方に提供する。それは我々を支えたパンと油であり、決して衰えなかった。それらが、我々の役に立ったのと同じように貴方の時代に貴方の役に立つことを願う。とりわけ、貴方がたがそれらを受け入れるために十分に啓発されますように。というのも、今日、我々の本が理由で我々は迫害されており、大切に保管した人や保護した人たちはほとんどが既に死んだ。我々は、これらの本が適当な時期に、受容される時代に呼び起こされることを信じて、ただそれらを土に埋めて、その運命に任せるのみである。

我々が時間的な保管に預けるこれらの本は、啓示と霊感を典拠として書かれたものである。「真実」を含んでおり、そのメッセージは時間に冒されることはできない。というのは、「真実」は永遠の若さであるから。

我々は、誤りや誤解の可能性を超えた精密で正確な記述であると主張するわけではない。というのは、言葉というものは脆い伝達手段であるから。言葉は誤りを免れないものであり、頭から頭へと正確に伝達することができない。同様に、我々は、本を甦らせた人々がどのようにその内容を扱ったかについて、何も言うことがでいない。学識ある者に知られている文字で書かれているが、その学識も時代と共に変わる。これらの本は、「永遠の真実」の栄光ある具現であるが、言葉や表現は、思い違いや誤解が起こらないようにするにはふさわしくない覆いである。言葉は誤りを免れないこの世界の道具であり、より偉大なことの領域で使役するよう求められる時には、不適切であることが分かる。それ故に、「文字は見当違いな場所にあるし、単語の用法は誤っている」などと言う、我々の時代の一部の狭量な連中のようであってはならない。彼らは個別の草の葉を入念に調べるのだが、牧草地の目的を発見することができないのだ。そのような人は洞察に欠け、字義通りのことを見て言う、「これらが私にとってすべてである。それ以上のものはない。」と。我々には次のようなことわざがある。「教育の場所は煉瓦で判断するな。」知恵というものは永遠であり、確かなものであり、同様に貴方の時代でも当てはまるであろう。

さて、「未だ生まれざる、不可知なる者たち」よ、我々は、他のやり方では伝えることができない過去の贈り物を謹んで提供したい。もし貴方が高みへ向かう道をずっと遠くまで進んでいるならば、それにはまったく価値がないであろう。しかし、もし貴方がまだぐずぐずしていて道を外れて彷徨っていて、人目を欺く俗界の霧の中で途方に暮れ、貴方の叫びに何の答えも見いだせないのであるならば、過去から広がるこの手をとると良い。それは貴方を忠実にそして良く導くであろう。

幾世代もの間ずっと、「真実と善」が普及するために、人々は迫害され、苦しめられ、そして死んできた。そのことを覚えていてほしい。もし世界がきちんとしているのであるならば、貴方の平安と楽しみは彼らの犠牲の上にもたらされたのだ。もしそうでないならば、その世界を良くすることに関する貴方たち自身のコストについてとやかく言ってはならない。きっと、あなたの時代の苦痛や恐怖は、過去のそれらを超えることはないであろう!

ごきげんよう、「未だ生まれざる者たち」よ。この少ない言葉をもって我々は現在の日中から未来の夜へと達した。我々は種を植えた、その種は成長するのか、または地中で腐ってしまうのであろうか?どんな収穫物を生み出すであろうか?我々は知ることはできない。運命の手にあるがままに託そう、我々は種を集め、殻竿で打ち、箕で簸り、あらゆる注意をもって保存した。我々は上手に植えつけることができた。これ以上のことはできない。

人生が、我々よりもより良く貴方に対して処遇してくれますように。元気づける希望が貴方に与えられないことがありませんように。ごきげんよう!

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