アモス(Amos)は信徒たちと山から降りて来た人々を導き、そして彼らを「ヘス」(Heth)の地へと連れて行った。良い土地が彼らの前に開けていた。しかし、アモスは、彼らは小石の中の宝石のようなものであるので、彼らの技量によって彼らを受け入れた人々を挑発することが無い様にと彼らに警告した。
アモスは言った。「我々は自分たちや子供たちの街を建設するつもりだ。そして、その中には「右手の道」(Right Hand Path)の光に従う者たちの為の神殿を建設するつもりだ。その神殿は牡蠣の中の真珠、または体の中の心臓のようなものとなろう。」
アモスと共に在る信徒たちは「光の子ら」(Children of Light)であり、そしてその人々は「ヤウィレス」(Yawileth)を崇拝していた「ケニム」(Kenim)と「エロア」(Eloah)を崇拝していた「ガルベニム」(Galbenim)であった。が、アモスはその人々に「真実」(Truth)の光の中を歩むように教えて言った。「あなた方それぞれに自分の神があるが、名付けることが出来る如何なる神の上にも、名付ける事が出来ない驚くべきものがあり、そして、あなた方はそれを「至高なる霊」(The Supreme Spirit)として知るであろう。」
ガルベニムは町と神殿を建設し、他方ケニムはヘスの子ら(sons of Heth)の間で鍛冶場を立ち上げた。アモスは彼らの間を進みそして全ての首尾が良い事を見た。「右手の道」に従った者たちと神殿の周囲に居住した者たちの数は百四十四であり、その数はそれよりも多くも少なくもなかった。町の中や周囲で働き土を掘りあるいは羊や牛の世話をした者たちの数は、二千四百三十五であった。アモスに従ったケニムの数は八百二十であり、ガルベニムの数は三千十五であった。これらの数字は労働したり兵役についたりすることが出来る者の数である。
アモスはヘスの子らの間へ出かけると、彼は光の道を説いたが、彼らは彼の注1言葉に耳を傾けなかった。彼らは、暗闇の円の上を、一人がもう一人の後につき、各々が自分の手を前の人の肩の上に置いて歩く人々のようなものである。だから、ヘスの子らの王がケニムが作った物を買うためにやって来た時、アモスは光の道について彼に話しかけると、時には王はその話を聞いた。彼ら(アモスと王)がヘスの子らの僧侶たちと出くわすと、アモスは言った。「地面が熱い燃え殻で覆われているかのように踊り跳ねているこれらの人々はどんな人なのでしょうか?彼らの祭壇の前で、彼らは叫んで歌いながら歩き回る大酒飲みのようです。彼らは空を蹴る馬の如く跳ねています。」
「どんな霊が彼らに憑いているのでしょうか、光の霊でしょうか、暗黒の霊でしょうか?我々は貴方の人々の間でこのような事をしばしば目にしてきましたし、王子たちや審判に座する者たちの間でさえ目にしてきました。彼らの口からこぼれる言葉を誰が理解できましょうか?それは予言ではなく、薬物が誘発した欺きです。彼らの言葉を聞く人々は、夜中に墓場へ行き、地下墓所へと座る者たちと同じように誤って導かれています。もし霊が来るとすれば、それは落ち着きのないもので、その言葉には殆ど価値がありません。というのも、彼らはうつろで、空っぽなものだからです。」
「これらのような神々は確実に偽りの悪鬼たちで、その力は架空のものです。というのも、彼らは聞かない、見ないものだからです。」王は言った。「私は貴方自身の聖なる人々が木々の下に座している時に彼らを見たが、彼らもまた、普通の人々の目には奇妙な具合に振舞っていた。どこに違いがあるのであろうか?」アモスは言った。「我々の聖なる人々は静寂の内に、彼らの内部で平安を保ち座ります。そしてもし彼らの肉体の目が見ないのであるならば、それは彼らの霊が鳥のように自由にぶらつくからです。それによって違いを認める事が出来る試験があります、もし貴方がそれに同意するのであるならば。」王は承諾のしるしを示した。
そこで、完全無欠の暗闇の場、光が決して入る事が出来ない場所が用意された。その中に二人のヘスの子らの僧侶たちと信徒たちから二人の「聖なる者たち」(Holy Ones)、王と二人の従者、そしてアモスが入った。それから、王と彼の従者たちが見ている間、彼らは「聖なる者たち」(Holy Ones)が完全な暗闇を照らし出す光を放射して、全ての者たちの顔が見える様になっているのを見た。ヘスの子らの僧侶たちは暗闇のままであった。というのも、彼らの霊は力無き弱々しいものであったからである。これが真の啓蒙の試験である。
この一件のため、王はアモスとその人々をより一層好意的に見る様になったが、彼は自分のやり方を変えたり、光の道を歩む事を求めたりはしなかった。というのも、アモスは王の中庭の前で魔法のわざを実演したり、未来を予言したりすることを拒み、また王は魔法が如何なることも達成できると信じていたからである。彼は、もしその秘密を知っているならば、あらゆることを達成する為のたやすい方法があると信じていて、その秘密が質素な生活と自制の扉の背後に保護されている事を理解する事が出来なかった。
王国内に「ミグダル」(Migdal)と呼ばれる町があって、ケニムのうちのある者たちはそこで神殿の為の仕事をした。アモスがその町にやって来た時、その町の大いなる神の祝祭の時であり、誰も仕事をしていなかったし、ケニムもそうであった。というのも、その日は彼らの火を休める日であったからである。アモスがケニムの監督者を探し求めた時、彼はその監督者を見つけ出すことが出来ず、彼の人々は誰もその監督者がどこへ行ったかを言おうとしなかった。しかし、アモスは彼を「べラス」(Belath)の神殿で見つけ、中庭の外で彼を待ち受けて、その監督者に対して怒りに満たされていた。
監督者が出て来た時、アモスは彼をたしなめた。が、その監督者は言った。「私はどんな悪い事をしましたか?この場所は私が食べる食物を提供しています。ですから、その神は我が神の兄弟ではありませんか?為されるべき決心があったのです。真鍮の扉はどうにかして鋳造すべきではありませんか?私は人間の制御を超えた方法によって神より答を求めていたのです。」アモスは言った。「貴方はこれは人間の制御を超えていると言う。そうかもしれない。が、人間以上の人間がいて、その者たちは、その小ささを私が証明しようとする所のこの神のようでさえある。来なさい。この件を試験に付そう。」
そこでアモスは急いでお供を派遣して彼の一団と共にいる一人の信徒の「聖なる男」(Holy Man)を連れ戻した。その「聖なる男」(Holy Man)がやって来ると、アモスは、そのような事は教化された人々の制御外にある訳ではないという事をその監督者と僧侶たちに示した。というのも、その「聖なる男性」(Holy Man)はエビン(ebin)と共に為される如何なる争点をも予言することが出来たからである。
アモスがその神殿を後にする時、彼は先の僧侶たちから獲得した「ケドショット」(Kedshot)と名付けられた女を彼と共に連れ出し、彼女を自由の身とした。神殿に仕える為に女たちの身分を下げることはヘスの地では普通であり、アモスはそれについて抗議をしていた。王の臨在の隣にいた時、アモスは言った。「全ての人々に共通する感覚は、姦淫を非難する事です。そして、それは貴方自身の法律によって許されてはいません。しかし、もし姦淫が貴方の神に対して是認されるならば、僧侶たちは彼らの利益の為にそれを許可するでしょう。ヘスの神殿の中においてこの邪悪な行いは今や非常に一般的なので、酒場で自分の体の奉仕を売ろうとする女性がたかが両手いっぱいの食事を要求することが出来るに過ぎないのは本当ではないんでしょうか?」王は言った。「それがヘスの慣習であり、ずっと昔からのことであり、変える事は出来ない。」アモスは言った。「そのずっと昔からの慣習がそれを良いものにすることが出来ましょうか?」
アモスは言った。「もし貴方の望みが「真実」(Truth)の光の中を歩む事であるならば、貴方はその崇拝と正義の方式の間で選択をしなければなりません。貴方はこの地の神々と「真実」(Truth)の間で選択をしなければなりません。もし国が風をふりまけば、つむじ風を刈り取る為に準備せねばなりません。というのも、決して相反することが無い法に対する違反を通じることを除いて、他の如何なる作物もそのような種子より生じないからです。」王は言った。「私は長く貴方、自由奔放に話すよそ者に寛容であったが、私を過度に苛立たせるな。」アモスは話すのを止めた。とうのも、彼は彼の人々に対する彼自身の指揮を等閑視してきたからである。
けれども、王はアモスの言葉を聞き、彼に丁寧に接した。王が「レスサン」(Lethsan)へケニムの細工物を買いに来た時、アモスもそこにケニムと共に居て、王は彼に言った。「ヘスの神々は多数で、他の場所の神々を含めると神々の数は無数に違いない。何故それ程たくさん存在し、そしてどの神が最も仕えるに有益であろうか?僧侶どもは銘々がその立場において力を有すると言うが、神々の間においてもこれはそうなのか?」アモスは言った。「ただ一つの「神」(God)がいます。が、各人は「彼」(Him)を様々な見地、自分自身の考え方から眺めます。「地上」(Earth)のより劣った物事に関してさえそうで、「天界」(Heaven)のより大いなる物事についてはどれ程その様でありましょうか!山は平野から屹立し、人々はそれを全ての面から見ますが、各人にとってその姿は異なって見えます。ある者は山を日中の光で見、また他の者は月光の中で見、ある者は黄昏時に、そしてある者は夜明けに。山は全ての人々にとって決して同じようなものではありません。人々は「神」(God)を一層様々な側面から眺める訳です。如何なる者も山全体を知る者は無く、その一部分のみを見るのですから、人々は「神」(God)の一部分のみを見、各人が自分が見ている一部分を自分が見ている内容と自分の理解に沿って名付けるのです。それ故に、神々がその名称や差異から非常に多くいるように見えても、その個別の神は全体の一部分に過ぎないのです。「真実」(Truth)においては、唯一の「神」だけが居りますが、死すべき定めたるどんな人が「彼」(Him)をその全体像として見る事が出来ましょうか?」
王は言った。「もしこれがそうならば、そう言っても差し支えないであろうが、私の視野は貴方と同じぐらい申し分なく、そして私はまさしく遠方を見ている。」アモスは言った。「山を乗り回してその山頂に登った者は、それを一番よく知っています。」
「光の子ら」(Children of Light)によって建設された町は人数を増し、人々はアモスの元で繁栄し、そして「エンシャミス」(Enshamis)における彼らの試練を忘却した。アモスが彼らをヘスの地へと導いた時、彼はまだ若い男であったが、人々の数が増えてその力が強くなると、アモスは長年大切な人物となった。アモスを知っていた王が死ぬと、若い王は彼を好意を持って見る事はなくなった。というのも、アモスはケニムが他の国々へ出ていく事を禁じなかったからである。
注1:原語は"bis"。明らかに"his"の誤りであろう。
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