第二十章 サデック(Sadek)の教え

「協会」(Brotherhood)内の全ての人たちは次のしきたりに従って生きる事を教えられることになっていて、それは霊の修行を規定するものである:

人々はあらゆる種類の邪悪な行いを差し控え、そして善良なるあらゆる事を堅持するようにさせられるものとする。彼らは「真実」(Truth)の話し手となり、そして高潔さを信奉する者になるものとし、そして正義が彼らの手中で守られるものとする。善行は、その人の魂の開示の門への人生を通じた長い旅においてその人を助ける杖である。

その進路には案内、道しるべや休憩場所やくたびれた者たちの為の隠れ場がある。道端には見つけるべき食物があり、そして道路に沿って発見すべき沢山のものがある。(約2節が欠落している。)

「協会の長」(The Master)は、勤勉な学習と厳正な自己統治によって自己を確立した全ての者を「協会」(Brogherhood)へ入会する事を許可するものとする。彼らは、段階を登っていき、自分の指定された場を見出す者たちと共にその一員となるものとする。

協会の長は、「光と生命の学校」(School of Light and Life)で彼らを指導し、彼らの性質や魂の解放の方法の秘密の全てを彼らに開示するものとする。不必要な懲罰や特別な褒美などはそこにはないものとする。そのものを目的とした禁欲的な生活は実践されてはならない。

協会の長の手の元にやって来るあらゆる人は、その人の推薦者によって受け入れる人たちの場へと導かれ、自分と共に全ての自分の技能、知識、そして財産を持参するものとする。彼は、受け入れ人たちの面前に来る前に、きちんと観察され、審理され、そして質問されるものとし、そして彼がここに来て1年を経過するまでは受け入れを行わないものとする。

次に示される印は「計画と法」(the Design and The Law)を表すものであり、これらは偉大で不変なるものであり、永遠に継続し、これらは我られの最後の末裔の時代にも同じであろうように、我々の最初の父祖の時代と同じであった。(多くが欠落。)

如何なる者も、次の我々のしきたりに従って生きないならば、我々の「協会」(Brotherhood)の中に留まることを禁ずる。不浄の道を歩むものは、彼自身の床だけでなく、近隣の者たちの境目もまた汚すのである。人は清潔な肉体と清浄な心をもって歩まない限り、我々の間に列挙されてはならないし、誰もその者を兄弟とは呼ばないものとする。

魂は、逆境と悲しみの激しく打ちのめす打撃によって鍛錬されなければならない。魂は謙虚さと思いやりの羊水によって優しく形作られなければならないし、魂は悟性と忍耐によって追い立てられなければならない。それらは調和のとれた美の姿を形作るものである。しかし、他のものは魂を醜悪なものとする。それらは次の通りである:この他の悪の性質と共に虚偽と強欲、欺瞞と怨恨、そして残虐さ。

安逸と怠惰の道を辿った者たちへの正当な報いは不面目と恥辱の奥での糾弾である。孤立した魂の惨めさの中で悲嘆にくれてうめき声を発しそして涙を流すであろう。

これらの我々のしきたりは、人間の安楽と安逸のために規定されたものではないし、人間の肉体の快適さの為でさえなく、人間の永遠なる魂の利益の為に規定されたものである。ここにおいて、人間の魂は、清められて、そして人間が我慢できる「真実」(Truth)の最大量を染み込ませた強力な知恵の鉱泉によって活気づかせられる。我々の規律に自分の魂を従える事によってのみ、人間は我々の生活様式から利益を獲得することが出来るのである。

人間は、その表面を支配する為に「地球」(Earth)の子宮から育てられた。が、ここでは既存の勢力が二つの陣営に集結して果てしなく敵対している。生命は死と対立し、光の戦士たちは闇の戦士たちに挑み、「真実」(Truth)は虚偽に直面している。光の指導者がいて、そして闇の指導者がいる。生命の指揮官がいて、そして死の指揮官がいる。邪悪なる軍勢は正義の軍勢に対抗する。

誕生時、全ての者が生命の戦いの場へと投げ出され、そして一方またはもう一方で陣営を整えている軍勢へと参加する。

「真実」(Truth)の軍勢におけるその人の階級に応じて、人は欺瞞に向かって戦うのである。光の指揮官の見立てにおけるその人の立ち位置によって、その人は闇の軍勢の中の自分の敵に向かい合って配備されるのである。

邪悪なる者は剣の鋭い刃へと引き渡されるであろうが、その善良なる者は記憶にとどめられるであろう。なので、我々の先祖たちが「カブリ」(Kaburi)を発ちそして海を渡って彼らを導いた「指導者」(Master)に随行した時が最初の日であったのである。彼らは道なき大海を渡ってやって来て、目を楽しませる軟弱な生活と惑わしを捨て去ったのである。

邪悪なる者とは、故意に悪を行うものの事だけではない。悪人とは、他人の邪悪さや愚鈍さを正当化しようとする者である。彼らに対して燃え立つ炎は、その軍勢が飲み込まれるような荒れ狂う火炎となった。

貴方は新しい人生をまとった以上、その目を見開いて理解をもって「至高なる霊」(The Supreme Spirit)の御業を見よ。貴方に示された道を常に辿り、貴方の歩みを完成へと向かって導かせよ。決して劣化した思考へと耳を傾けたり、情欲の目を覗き込んだりしてはならない。というのも、こういった事は偉大なる者たちを惑いへと導き、強き者たちを堕落させてきたからである。全ての行いについて潔癖であれ。なだらかな髪が垂れかかっている女と寝る事によって人間という神殿を冒涜してはならない。肉体、思考、言葉そして行いについて、内も外も潔癖であれ。

そういった事は我々が袂を分かつ者たちによって為された。彼らは自分の神殿の明かりを無益に灯し、そして彼らの闇の祭壇から立ち上る煙は脇へと吹き飛んでいった。貴方は闇を歩む者たちのようであってはならない。我々はあらゆる面から圧倒されているとは言え、これは「偉大なる指導者」(Great Master)の誕生を先触れする労苦の時なのである。貴方は、生命の木より切り離されて地面へと落下し、虚無へと戻るであろう者たちのようではない。貴方は自分の兄弟たちの幸福を常に気遣うものとし、そして貴方の隣人を欺いてはならない。

貴方は熱心な共同体の中で暮らし、結婚してそして子供を設けることになる。貴方の息子らは頑丈なオークの如く成長し、そして貴方の娘らはスミレの様にしとやかに成長するであろう。貴方の息子らは帯剣し、そして貴方の娘らは顔に渡ってひかれるベール付きの頭飾りをまとう事になる。

我々の中に数えられていて、自分の義務に関する履行において臆病な者たちが共にいるのであるならば。彼らは炉の中で溶けてしまう男たちだ。ここでは、我々は肉体の無益な苦行の為に修練や質素な生活を実践している訳では無い。我々は、ちょうど戦士が乱闘に向けて自分の筋肉を柔軟にする為に訓練して自分の命を守るように、自分の魂の為にこれらの事を行っているのである。

92世代が生まれなければならない。すると、神々と人間たちが入り混じって戦闘を行い、強烈な暴発のさなか赤く彩られた闇の中で戦闘が行われるその破局的な日に際立った大虐殺があるであろう。それが「炎が石の中心部から躍り出てくるであろう」と書かれた時である。

次の事は書かれてきた事であり、我々は「協会」(Brotherhood)を統治するしきたりについてのみ自分たちの関心を向けることにする。これは貴方が所属する場であり、そしてもし貴方が無担保で去るのであるならば、そのしきたりは貴方の頭上に残るであろう。

死の門の向こうに悪鬼の拷問が邪悪な者たちに言語に絶する苦悶を加える拷問場があると明言する者たちは、間違った光に導かれているのである。もちろん、「暗黒霊たち」(Dark Spirits)によって絶えず付き纏われる陰鬱な悲嘆の場所はあるが、彼らは炎の拷問を加える訳では無い。彼らが悪であり、そしてその付き合いに耐えるには十分恐怖を覚えさせる故に、彼らはそこに居るのである。

例えそれが隠されたそして閉じた凹所の中にあったとしても、貴方の心の中に異教徒の神々を抱いて我々の元に来てはならない。貴方は門外の全ての誤った信仰を追放しなさい。

ここでは、全ての兄弟たちは共同で魂の完全な実現の方法を実践する為にいる。ここでは、「真実」(Truth)が人と他の人を結びつける。謙虚さ、しとやかさ、そして正義が我々の生活を統治するであろう。心や目が不正なそして無価値の事へ向けて無意識に動くような事はなくなる。あらゆる人は自分の階級に応じて指示したり従ったりする事になる。

もしある者が入門するにあたり嘘をついたと判明したのであるならば、それが過去、部族の忠誠義務あるいは財産の事についてであれ、労働によるお詫びが為される事になる。気違い、馬鹿者、盲目なる者、聾唖の者は入門を許可される事はない。

誰かがより階級の高いある者を殴ったり、あるいは与えられた指示に従う事を拒絶する場合、もしその殴った者が階級を持つのであるならば降格とされ、かつ労働と食事制限によるお詫びが為されるであろう。もし誰かが正当な事由なく同じ階級の者を殴る場合、その殴った者の階級が降格され、かつ労働によるお詫びが為される事になる。もし二人の男が戦うのであるならば、両者の階級が降格される事になる。

もし誰かが欺く意図をもって嘘をついたり、あるいはもし危害や不幸が他の者に引き起こされるのであるならば、労働によるお詫びが為されるであろう。

もし誰かが他の人または全ての人に属する何かを損傷したり滅失する事を引き起こすのであるならば、労働によるお詫びが為されるであろう。もし誰かが他の人の前で不適切にかつ無思慮に自分自身を露出するのであるならば、彼は労働によるお詫びを為す事になる。

もし誰かが他の者の目の届かない所でその人を中傷するのであるならば、彼は労働によるお詫びを為す事になる。しかし、誰でも他の者を立会人たちの前で面と向かって責めることが出来る。もしある者が怒って他の者を非難するならば、労働によるお詫びが為されるであろう。もしある者が恨みを抱きそれが知れ渡るようになるのであるならば、謙虚に謝罪が与えられ、そしてそれは好意をもって受け入れられるであろう。

もし誰かが他の人が聞こえるように卑猥な事を話すのであるならば、労働によるお詫びが為されるであろう。もし誰かが金属を浪費したり金属を喪失させるのであるならば、労働によるお詫びが為されるであろう。もし誰かが他の人によって使用されたあるいは不潔な水に浸るのであるならば、労働によるお詫びが為されるであろう。

七日目に始まる日没の時から一日目に始まる日没の時までは、安息と瞑想の時間である。その時間は魂の霊的交わりと聖なる学習の為の静穏の時間である。行われるべき唯一の労働は動物の給餌と、その世話および配慮のみである。食物を食べても良いが、前日に準備しておくのであるならば最善である。装飾用の木や植物の世話をしても良い。くつろぎの娯楽にふけっても良いし、全ての必須の仕事も行うことが出来る。必須の仕事とは、別の日には行うことが出来ないものであるとか、状況によって絶対必要なものの事である。安息日には、全ての者がきれいな衣服を着ることになり、そして子供の叱責は翌日まで先送りとすることになる。

男の第一の関心は自分の妻子供、そして彼が世話しているその他の者たちであるべきである。彼は、他の人の必要の手はずを整えるために、彼らにひもじい思いをさせたり薄着にさせたりしてはならない。もし誰かまたは全ての人に属する何かが紛失され、あるいは取り上げられて隠されて誰がそれを持っているか分からないようにされるのであるならば、その物は所有者の手中で呪われた事になる。もし後になってその物が誰かの所有物として発見されるのであるならば、その為された事によるのではなくその呪いの為に、その人は「協会」(Brotherhood)より追放されることになる。

所有者不明の何かが見つかる時には、それは聖域に持ち込まれ、そして一か月の間そこに保管することになる。もし請求者が居ないならば、それは発見者へと返還される事になる。誰も公正かつ正規の支払い以外によそ者から何かを受け取らないし、更に誰も売買においてよそ者に加わらないこととする。

我々は評議会によって統治され、その構成は12人の男と会長からなるものとする。全評議会は、5人からなる上級評議会と7人からなる下級評議会からなるであろう。全評議会によって四人が選ばれた部分評議会があって、論争を審判し、そして懲罰を監督するものとする。

上級評議会は、12のグループからなる兄弟たちを率いるであろう頭目を指名することになる。下級評議会は、そこへ報告する儀官を指名するであろう。全ての者がその頭目、儀官、自分自身よりも階級の高い者たちに従うことになるが、彼らは自分たちに与えられるどのような指示についても下級評議会に不平を申し立てる事が出来る。

(ここのより多くの部分と次の章が失われていて、正しい場所やお互いの順序を割り当てるのが困難であった。多分原本の10分の1に過ぎない。)

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