師匠は彼のテーブルに着席し、そして彼の周囲に半円状で、彼が指導する者たちがおり、そして彼は彼らに次のように教えた。
「我が兄弟たちよ、次の事は生活上のしきたりであり、そして人々のしきたりである法である。如何なる法も、それが「至高なる霊」(The Supreme Spirit)に関するものであれ、あるいは人間に関するものであれ、全面的に幸福を生み出す事はなく、そして悲しみを引き起こさない事はない。それ故に、価値があり良いものである為に、しきたりや法はそれが妨げるよりもより多くの満足と幸福を生み出さなければならない。それはまた、それが生み出すよりもより多くの悲しみや混乱を防がなければならないし、さもなくばそれは邪悪のなせる業となり、人間の愚かさの記念碑となってしまうであろう。
喜びは混じり気なく訪れることは無く、そして人が進めようとする善の如何なる形式も制限によって妨げられる事はない。それにも関わらず、どのよう善の形式にも、知恵と共に管理された人々の手の中に幸福を産出しないものはない。喜びや悲しみ、苦悩と楽しみ、成功と失敗は全て霊の上に作用する形作る過程であり、そして人間の性質なのである。正反対であるいずれのものも、他に対してより過少な重要さを持つ訳では無い。」
次の事は教えを受けた事である:
「すべての人の性質は異なっており、全ての者が自分の性質に合致する輪へ向かって押し流されていく。それ故に、我々は基準を設け、それは必ずしも全ての者たちが受容しようとしないであろうが、その人の性質が最も良く求める者たちのみが我々の一団に適合したと認めるようにする。」
「それぞれの男女の魂が発展し、そして霊的および物質的命令の制限によってしつけられることが無ければ、その魂がその地上的要素の上に引き揚げられる事は出来ない。地上的なる肉体が規律と自制によって健康を保ち、そして甘やかしすぎや無頓着を通じて粗雑で弱くなるように、肉体を統制する霊もまた自制の行使が要求されるのである。」
「あらゆる法は、霊の圏から生じるものであれ、あるいは物質的な圏から生じるものであれ、人の性質から生じる何かを抑制し、それ故に慎みと忍耐の実行を要求するのである。しかし、あらゆる正当な法が男女の何かを制限するとはいえ、それはまた悪事や良くない事をも制限しているという事は真実ではなかろうか?法が男女により少なく義務を負わせ、そして彼らの幸福に対して有害な物事により多くの制限を課する程、法はより良いものとなるのである。全ての法は自由という宝から支払われており、その代価が少なければ少ない程、法はより良いものとなるのである。」
「地上の支配者たちの法は軍の力によって維持されているが、より高位な霊的なる法の維持は悟りと知恵を通じてのみ確保される。誤った判断、悲しみ、そして良心の呵責の原因は、地上の法よりも霊的な法における違反からより頻繁に生じるのである。」
「道徳上の法や禁止事項は人間の進歩と幸福に対して欠く事の出来ないものである。激情が制限されず、そして弱みが道徳的な法で守られていないならば、様々な形の悪行やこじつけが許容されるようになり、国力をむしばむであろう。異常な事に自由が許されて正常な事に押し入るのであるならば、国は退廃し、その国民は悪に染まって失敗する。「崇高なる法」(The Great Law)は人間を進歩させる為に義務を果たすのである。あらゆる男女はその伝統を保護し、地上のみすぼらしさの上へと自分たちを引き上げなければならない。それが生きる事の理由の一つである。人生の苦闘は人と共にあり、人の苦闘は自分自身と共にある。」
「あらゆる地と時代の賢明なる指導者たちは、愚鈍な者や異常な者がその肉欲的な本能的欲望や不品行な強い衝動を我慢するように法を制定した。もしそれらの者たち自身の抑制しがたい欲求が自由を許され、彼らの行動を命ずるのであったならば、その愚鈍な者たちや異常な者たちが自分自身だけを台無しにするだけではなく、彼らはまた人間の生きている体の癌の如きものとなったであろう。」
「「神聖なる本」(The Sacred Book)は、人の性質には恥の感覚が入っていると我々に教える。これはその様であり、そして人はまた品位の意味を知り、人として自分自身を誇りに思う事が出来るという所にある。それはまた自分が知っているより良い状態、霊的な清潔さや純粋さの状態を作ることにある。」
「そのような知識は、良い牧草地が自然に農夫へとやってくる訳では無いのと同様に、自然と人にやってくる訳ではない。丘の上のその街は善良な心積もりで創建されたのであり、その創建者たちは邪悪さに喜びを見出す者たちではなかった。それにも関わらず、月日が過ぎると、その城壁内では全てが良い状態ではない事が明らかとなった。今や、その住人たちの心の傾向の為に、その街の日数は数え上げられている。」
「人々が船で「南方」(South)から海を越えてやって来て、我々を取り囲む人々が非常に欲しがる物をもたらす。その人々は自分たちが捕獲したり生育したりした物、あるいは地上から掘り出した物を交換するために街へ立ち入る者たちである。物品はその街の市場で交換されるが、それらの物は肉体を楽しませる為の物であり、魂を満足させるものではない。」
「それでも人間たちはまさにその性質によって常に突き動かされ、地上的な欲求を満たす事のないものを追求しそして得るであろう。そのようなものはその美しさによって人間たちの心を喜ばせるもの、あるいは霊的な喜びや満足をもたらすものである。また、愛する者たちに喜びをもたらすものや、そして人々を高潔な行為へと鼓舞するものである。人間のあらゆる地上的なる要素と共に、最も求められて望まれるものは、魂の内部の力を奮い起こすものであり、肉体内部の力ではない。それが別な風であるならば、人間は獣へと後ろ向きに滑り落ちて行くであろう。」
「次の事は、「アネウィドウル」(Anewidowl)による文面の再考を通じて、我々の言葉で書き直されている。
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