第十一章 記録の巻物 その五

「「偉大さの上にて至高なる者」(Supreme One Above Greatness)よ、我が民の心を照らし、そして彼らに前方の道を見させ給え。彼らが人生の意味を理解する事を許容し給え。彼らの魂の将来の状態に関して彼らが帯びる責任の事を、彼らの心に心配させ給え。その目的の為に、謙虚な霊と親切な心に達する方向へ向けて彼らを助け給え。この「地上」(Earth)にいる間、少しばかりの永遠の一瞥を彼らに許可し、彼らが自分たちの前に何が横たわっているのかをより良く理解することが出来るようにさせ給え。知恵と「真実」(Truth)の源泉に触れる能力を彼らに与え、そしてその水をすする為に神聖なる井戸へと彼らを近づけさせ給え。彼らが先んじた我々の「師匠たち」(Masters)の教えを固守するように、彼らが正しい判断を行い、自分の心を導く事を助け給え。彼らが光明のうちにぐらつかず、そして闇にきらめく偽りを彼らに示し給え。彼らが自分の旅の終わりへとやってくる時、「偉大さの上にて至高なる者」よ、「永遠なる光の領域」(Region of Eternal Light)において不死を彼らに認め給え。彼らに向かって慈悲を垂れ給え。というのも、「貴方」(You)は彼らの不朽なる魂の上の邪悪なる刻印を和らげる事さえ出来るからです。」

「我々の「師匠たち」(Masters)は、人の魂は獣の肉体に埋め込まれた霊の種であると教えた。「偉大さの上にて至高なる者」(Supreme One Above Greatness)よ、我々の人々の上に「貴方の」(Your)知恵と憐みのさわやかな水を送り下し給え、その種が彼らの内で育まれ、芽を出して「光の国」(Land of Light)の生命へとなるように。もしその種が肉体の内で萎れたり、獣によって食い尽くされるのであるならば、我々は永久不変の無の運命を受ける事になる。我々の人々の何人たりもそのような運命を被らないようにされ給え。というのも、彼らの内で最も邪悪なる者たちでさえ、「永遠なる光の領域」(Region of Eternal Light)において他の者たちより寂しく思われるのであるから。」

「「偉大さの上にて至高なる者」(Supreme One Above Greatness)よ、解かれた本のように人々の心を読む者よ、私は自分の為に何を尋ねることが出来ましょうか?私は、我々の人々の間で階級が最も高いにも関わらず、魂の強さにおいて彼らの多くよりもずっと下位となるのです。私は戦の男であり、祈祷の男ではありません。それ故に、私はどのように「貴方」(You)を支持すればよいのか知ることが出来ないのです。」

「実に、「偉大さの上にて至高なる者」(Supreme One Above Greatness)よ、私は私の時代に多くの悲しみや苦しみをもたらしました。私の男らしさの重荷は私の上でどっさりと沈下しました。しかし、「偉大さの上にて至高なる者」よ、私は決して未亡人や父なしの者たちから強奪しませんでしたし、あるいは無力な者たちや庇護の無い者たちをめがけて打つことはありませんでした。私は苦しんでいる者たちをからかったり、邪悪なことが為されている時に恐怖で傍観するといった事もありませんでした。私は、自分の敵であった者や、私を殺そうとする者でなければ如何なる者も殺しませんでした。私が誰かに仕える時は誰であっても、私は彼に良く仕えました。私は困窮している友人を見捨てる事はしませんでしたし、他の人の家の尊厳に対して不敬を働くような事はしませんでした。けれども、「偉大さの上にて至高なる者」よ、私は人々が非難するような事を数多く行ってきましたし、それ故に「貴方」(You)の面前における私の評価を知ることが出来ません。けれども、私が「貴方の」(Your)目にどのように映ろうとも、我が民たちを弁護する為にも私をあまりにも不適格であるとお考えにならないで下さい。」

「私は、今や我が民である者たちの間に生まれたわけではありません。私は彼らの血筋ではないし、私はかつて、我が父祖たちのやり方に従って我が父祖たちの「神」に呼びかけました。しかしそれでも、「貴方」(You)は、どのような呼び名によってであれ、同一なる「存在」(Being)なのではありませんか?「貴方」(You)は、その御前にて我が霊が首を垂れる「存在」(Being)であり、その力を「支える者」(Sustainer)です。「貴方」(You)だけがその安らぎの場で我が心を歪めさてきた葛藤をご存じです。というのも、私は実のところ、何が「真実」(Truth)であるかを知ることが出来ないからです。私は、そのような知識に相応しくないので、そのような事を知ろうと期待致しません。私は「貴方」(You)を見放さなかった。が、「貴方」(You)をより鮮明に見る事だけを求めたし、そして私はより良く貴方に仕えます。私がある場所にいる「貴方」(You)を理解できなかった時、私は他の所にいる「貴方」(You)を求めました。私はより多くの光があった場所で「貴方」(You)を探しました。私が若い頃の人々の間で、「貴方」(You)は親しげに見えましたが、私は「貴方」(You)を理解できませんでした。というのも、彼らは「貴方」(You)を箱の中に閉じ込めたいと望んだからです。現在、「貴方」(You)はもっと遠くにいらっしゃるように見えるにも関わらず、私はより鮮明に見、より良く「貴方の」(Your)性質を知っております。」

「「偉大さの上にて至高なる者」(Supreme One Above Greatness)よ、私は、他の者たちのように、何の疑いもないと申し上げる事が出来ません。というのも、実に私は、葛藤する思考によってしばしば引き裂かれるからです。私は「貴方の」(Your)存在を疑うことがありません。というのも、私はその実在の現れを認めてきたからです。しかし、私は、「貴方」(You)と私の関係についての疑念でもちきりなのです。それにまた、私が理解できないことが沢山あり、しかしそれでも他の者たちが私に向かって指導するのです。私一人だけに影響を及ぼす過ちを私が犯すのであるならば、私はその結果について不平を言う事はありません。しかし、もし私が他の者たちを過ちへと導くのであるならば、私の心はバラバラに引き裂かれるでしょう。」

「我が心の神にて我が魂の父」(God of My Heart and Father of My Soul)よ、少し私の方へ御心を傾けられたまえ。というのも、私だけで、私は「貴方」(You)へと達する事が出来ないからです。私が他の者たちを御光へと導く事が出来るように、私を教え導き給え。死や滅亡を、永久不変の無であってさえ、私は恐れません。しかし、私は自分の仕事に対して不適当である事を恐れます。「偉大さの上にて至高なる者」(Supreme One Above Greatness)よ、我に自信と強さを与え給え、私はそれ以上を求めません。もしこれらのものを「貴方」(You)と共に見出す事が出来ないのであるならば、他のどこでも見出す事が出来ません。我を導き給え、「偉大さの上にて至高なる者」(Supreme One Above Greatness)よ、私は我が民たちの為に何を致しましょうか?」

次の事は人間たちの目の為に書かれたものではない。が、人間たちの為に記録することによって、その行為が地上で人間たちに利用可能な善良なる倉庫にちょうどダニを加えるようなものであるならば、その著者は反対するであろうか?

ホスキア(Hoskiah)が60歳の齢を過ぎた時、彼は「光の子ら」(Children of Light)の生き残りを求めて「ペラシ」(Pelasi)へ遣いを出した。彼らは誰もやってこなかった。というのも、彼らが野蛮人たちの間に居住する為に「地上」(Earth)の端まで旅をするのは相応しくなかったからである。彼らは言った。「我々はここで光を維持しよう。というのも、外部であるその地では、その光は確実にその輝きを失うであろうから。」

後に、四隻の船がやってきたが、彼らは「アシュラテム」(Ashratem)の規範を帯びていた。彼らと共に、「ダンの子ら」(Sons of Dan)の「エノス フサディム」(Enos Husadim)、暗闇に位置し光の極みまで達する山の傾斜地からの博識な男がやってきた。彼はホスキアが子供の頃を知っていた。「トゥワルス」(Twalus)に居住していた「ゾダック」(Zodak)と呼ばれる者もやってきて、彼は自分と共に「光の子ら」(Children of Light)の全ての書籍を持ってきた。ゾダックと共に金属の神秘を知っていた多くの者たちがやってきて、彼らは自分らと共に「アモス」(Amos)の光をもたらした。彼らがやって来た時には、ホスキアの霊は既に彼らの父祖たちに加わっていた。

彼の霊が羽を獲得する前、ホスキアは彼の人民たちへのガイダンスとして次の事を書いた:

「我が信頼する者たちよ、我の「偉大なる旅」(Great Voyage)に向かう出発への時間が近づいており、そして私は、我が手元にある仕事を完遂する事が出来ない。一つは、私が怠惰であった事だ。というのも、「記録の最高位の守護者」(Chief Guardian of the Records)であったにも関わらず、私がその保護に捧げた時間は十分少なかったからだ。その保護に関して、僧侶たちに謝意を表したい。私はこの地に必要な多くの制定法を記録した。それらに類似のものはかつて知られていたが、人々が見るために書き留められてはいなかった。今やそれらはあらゆる人の耳に知られるようになっている。そなたらの幸福と安全は常に私の第一の関心ごとであったが、私は戦士であり、人々の指揮官であり、筆者人や記録者ではない。」

「我が信頼する者たちよ、我らは数少なく、そして我らの周囲の野蛮人たちは数多い。暫くの間は、彼らは十分に制御下にある。というのも、「クラドウィジェン」(Cladwigen)はかなり我々を望んでいるし、彼の息子らは我々の友人である。我々は骨を折って働いて街を起こし、そして人々は自由に我々の間を行きかっている。多くの船がその時期にやってくる。が、友好的でない勇敢な戦士たちが「北東」(Northeast)より攻め寄せて来るので、警戒を緩める事は出来ない。我々は野蛮人と共に並んで平和に眠ることが出来ず、常に警戒態勢で居なければならない。危険が山腹の巨礫の如く上に張り出しており、そして我らの安全は子供の手の内にあるおもちゃの石のようなものだ。野蛮人たちは我らがこの地でよそものであるのを忘れる事はなく、我々が彼らの目的にかなう間だけ、我らは歓迎されるのである。」

「しかし、我が信頼する者たちよ、我らの周囲のあらゆる危険と共に、私が最も恐れる事は内部に脅威をもたらす危険である。我らは野蛮人たちの数に対して本当に数少ない。にもかかわらず、我らは、一人が他の者に対する、そして人々の他の人々に対する愚かな争いで自分自身の首を絞めているのである。我らの街は売買の為の地であり、物が交換される場所である。街の外は、人々が望むように行きかい何の妨害もなく売買する市場である。我々は街の法と市場の法を有する。我らの間には、数多くの熟練工がいて、彼らが作った物を、食物をもたらす野蛮人たちと交換する。我々はここで良い生活を送っているが、それは私が完全に合点する生活ではない。我々は、光を維持する、光に捧げる街を起こす為に遠くの地からやってきた。が、ここはそのような街となっているのか?人々は光を求めてそれを崇拝しているのか、あるいは人々は贅沢さを求めて富と所有物を崇拝しているのか?」

「我々の内の一部が「悲しみの港」(Harbour of Sorrow)からやって来た時、我々は死からの釈放に際して賞賛に満ちていたが、実り豊かな森林の中において、我々より感謝の念と意思の大半が失われた。何故人々はいつも、平和と豊富さの緑の牧草地の中にいるよりも、災害に直面したり、そして窮乏の内においてより良い人間とならなければならないのか?それは、なぜ「地上」(Earth)に悲しみや苦しみがあるのかと問う多くの人々の疑問に答えるものではないのか?何故、苦闘しそして苦しむことは、より良い人間を作り上げるのではないにせよ、人間たちに割り当てられたものであるのか?」

「我が信頼する者たちよ、我が目はそなたらの前で事物がかすんで見えているかもしれない。が、私はそなたらのやっている事に盲目な訳ではない。既に我々の女たちがその色目を野蛮人たちに向けて投げかけており、そして女たちが自分たちの種族の外部の男たちを求める時は、それは人々の退廃の印なのである。私は書かれているものを読んでおり、そして私は将来を危惧する。」

「光の中の我らと共にある多くの者たちが我らに合流し、そして我らは武装してより強くなり、そして信念をもって強められるであろう。(注釈:来る者たちはなんと少数であろうか!)が、我らの運命は野蛮人たちの間にある。彼らはみごとで、勇気を与えられた真っすぐな男たちであり、彼らのやり方をみくびってはならず、彼らを光の中に導く事だ。」

「我々の街は市場、「地上」(Earth)の物だけを交換する場所として設立されたのではない。また、我々はここに征服者としてやってきたのでもなく、避難場所を求めてやってきたのである。」

「我が信頼する者たちよ、人生の道は平坦でもないし、牧草地の進路を生き抜く道なわけでもない事を忘れぬようにせよ。生き延びようとするあらゆる人の為に最も必要な事は、自制である。金(ゴールド)の事はより少なく考え、金を保護する鉄についてより多くを考えよ。また、「ミスラムの書」(Book of Mithram)からの次の言葉を記憶に留めよ。最も鋭利な剣は、決然たる男の手に持たれるのでなければ、役立たずである。同様に、もし金(ゴールド)を持つ男が自分の弓のつるの手入れをするのであるならば、彼はそれを無事に保管する。」

人民に対するホスキアの残りの言葉は滅失した。


脚注

注1:原語は"quahties"。これは"qualities"の書き間違いであろう。

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