ところで、ホスキア(Hoskiah)の時代においてさえ記録は完全なものではなく、それでホスキアはこの記録を書き留めさせた。この記録は「カハドモス」(Kahadmos)のやり方で書き留められた。
「ミスラムの書」(Book of Mithram)には次の事が書かれている。「本物の男」(The True Man)は多くの資質注1を有するが、その内の最も偉大なるものは自分の責務に対する傾倒である。男は自分の魂に対して、自分の「神」(God)に対して、統治する者たちに対して、そして自分の世帯に対して責務を有する。
弱虫は戦闘において逃亡して言う、「見よ、私は自分の責務を果たした、私は生きている。」「本物の男」(The True Man)は決然として、厳然として動じず、彼の敵どもは風の前のもみがらの如くであり、彼は生命の勝者である。責務というものは男らしさの女神であり、そして彼女はあさましい犠牲を要求する事はない。
厳然たる女神は言う、「死せよ」。そして、本物の男は前に進む。「永遠なる生命の君たち」(Everlasting Lords of Life)の地位が開かれて、彼は彼らの間に自分の場を占める。
責務が言うには、「栄光と栄誉は決して貴方のものとなることは無いであろう。貴方の惨めな運命はレンガ室で労働して貴方の妻や子供たちが飢えないようにする事だ。」「本物の男」(The True Man)は不屈の精神と快活さをもって自分の仕事に向かうものだ。勇気は男らしさの最も素晴らしい資質であり、そして責務は勇気の最も素晴らしい表現である。貞節は女に対するものであるが、責務は男に対するものであり、彼らの性別に関してやる気をもって引き受けられた重荷である。男と女は共に同じ道を進んでいくが、各々が異なった重荷を背負っているのである。
ホスキアは言った、次の事を記録に加えるものとする。野生動物でさえ為すべき責務を有する。というのも、責務というものは生命の女中であるからだ。命ある全てのものには責務がある。というのも、生命そのものが責務であるからだ。人は何の義務も有しない時、その者は死んでいるのである。
人の地位が高いほど、彼の責務は大きい。「人々の頭領」(The Captain of Men)は召使よりも良く仕えるのである。より偉大なる者たちはより大きな責務を有し、人より劣る者たちはより劣った責務を有する。生命ある所にはどこでも危険が存在する。
「ミスラムの書」(Bookd of Mithram)に書かれている:「本物の男」(The True Man)は言葉や行いでは気前よく、彼には物惜しみが取り入る場はない。一方の手で与える者は、もう一方の手で寄せ集めるのである。
次の様にも書かれている:全ての者は自分の地位を突破する事を求めなければならない。彼らは昇るかまたは降格させられるかの何れかである。人間だけが不満を分かっていて、そして自分の割り当てをより良くしようとするのである。というのも、不満は人を造成するものだからである。
ホスキアは次の言葉を記録に付け加えた:貴方の矢を貴方の期待の上に狙い定めよ。矢を月へ向かって放つ者は矢を木のてっぺんに向かって放つ者よりもさらに遠くに矢を射るのである。貴方の弓を貴方の力に応じて選べ。強い腕無しの強い弓は弱い弓に価値がないのと同様に価値が無い。人を判断する時は、その弓ではなくその狙いによって判断せよ。奉職においては通常の弓を、展示用には装飾的な弓を。今まで作られた中で最も強い弓は、矢無くては役立たずである。
ホスキアは言った。「次の事は書かれたものであったが失われたものである。それらを再び記録せしめよ。」:成功は努力と持続の子である。失敗が愚か者に付きまとうと共に、成功は賢者たちの足跡をたどる。人々は成功と安逸のいずれかの選択を有するのであり、それら両方を有する事は出来ない。打ちのめされそれでもまだ降伏しない事、それは真の勝利である。
失敗は成功の物差しである。それだけが功績に価値を加えるが、失敗を受け入れる事によるものを除いて本当の失敗というものは存在しえない。
次の事は記録に付け加えられたものであるが、それがホスキアによって言われたものであるにしろ、我々はそれがいつであったかを言う事は出来ない:男らしい精神は自由において喜び、そして隷属のくびきを負う筈がない。男らしい精神は、自分の意思を力によって強制する主を認める事はないであろう。
男は戦争において統帥と命令に服従しても良く、そしてより良い男となっても良い。というのも、真の奉公は奴隷根性ではないからだ。自分がそれを得る前に、決して自分の権利を要求してはならない。
人は、他者の自由に対する権利をもまた承認するのでない限り、自由に値しない。自由人はその人自身の統治者であり、そしてその人の物差しは独裁者のそれよりも正しいのである。自由に値する唯一の者は、己を厳格にそして賢く統治する者である。
全ての国が自由または隷属のいずれかへと向かっていく。というのも、誰もその間に宙ぶらりんの状態を維持することは出来ないからだ。自由の最大の敵となるものは、たとえそれが弱いものとしても、自由人たちである。大事件は英雄や腰抜けを生み出すものではなく、人々の目にそれらを明かすだけである。
ホスキアが次の事を書かせて言うには、「これもまたかつて書かれていたものであるが、今や腐食によって我々から失われたものである。」:悪人の道は眠れぬ道である。邪悪な者は暗愚の未知を辿り、彼らは絶えず墜落の恐怖を歩むのである。
悪人は自分自身の悪事に捕らわれている。彼は自分自身の邪悪さによって縛られている。悪人は自分自身の行為の罠に陥れられ、彼は誰も追及していない時に逃れることになる。
次の事は偽りなく言われた:「心の中が邪悪な者は、邪悪な者の行いを褒め称える。邪悪な行いを犯すよりも多くの者たちが邪悪な思いを抱く。というのも、実際に行動する者たちの多くは臆病者であるからである。邪悪な者たちの行いについて多くを語る者を観察せよ。彼に勇気が欠けていたら、彼はその臆病者たちの間に居なかったであろうか?
次の事は「ラコブ」(Racob)の時代においてさえ失われていた記録に書かれていた:百の世代の内に、人々の邪悪さは一層弱まるであろう。というのも、そのような事が「神の計画」(Plans of God)に書かれていたからである。一千年の時を経れば、女性たちはより一層美しくなるであろう。というのも、その事が「神の計画」に書かれていたからである。
偉大なる国が他の全ての国々の上に立って地上の国々を率いる、そのような時代がやってくるであろう。そしてその国は「天罰の日」(Day of Visitation)においてさえ生き延びるであろう。その国の事について多くが記述されていたが、今やそれは失われている。
世代が移るにつれ、地上はより実り豊かとなるであろう。というのも、その事が「神の計画」に書かれていたからである。
「偉大なる神」(the Great God)の御体は存在する全てのものを包含し、そして「神の霊」(His Spirit)は存在する全てのものの中に含まれている。霊は完全であるが、肉体は不完全である。
ホスキアは言った。「次の事を今書き留めよ、というのもそれは以前書かれていた事だからである。」如何なる者も人々の意思と対立するやり方で歩んではならない。如何なる者も不条理な恨みを抱いたり、不条理な個人的報復を行ってはならない。
次の事は罰せられるものとする:もしある者が20歳になる前に妻を娶る時。しかし、彼は妾を取っても差し支えない。;私事を除いて排便をする時。;流水を除いて自分自身を清める時。
ホスキアは、彼の出自を理由として、「炎の子ら」(Sons of Fire)の統治者となることが出来なったが、彼は評議会において統治者と同列に振舞った。というのも、彼はその場において全ての事を命令したからである。
評議会は次の法律を作成し、そしてそれをホスキアの法律と統合した:異邦人は、それが野蛮人であれ、もし彼が評議会の三人の成員によって支持されるのであるならば、我々の一人となることが出来る。しかし、彼が我々の為に戦争において武器を携えた実績があるのでない限り、彼は評議会に座してはならない。彼はその宣言の後一年後までは我々の内の一人となってはならないし、誰でも、その異邦人の受け入れに際して、評議会の前にやってきて自分の反対意見を述べることが出来る。
各人が評議会における割り当てられた自分の場所を有するものとし、そして彼の立場に応じて自分の番の時に意見を述べる事が出来る。誰かが話している間、如何なる者もその者の話を遮ってはならないものとする。
如何なる者も自分の番の前に話してはならず、そして話をした者は誰でも再び話す事が出来る。もしある者が二度話をし、再び話をしたいと願うのであるならば、彼は起立して沈黙を続けるものとする。もし五人のうち一人の者たちが彼の為に挙手するのであるならば、彼は再び話す事が出来るが、そうでないならば彼は着席し直して話してはならない。もし同時に一人よりも多くの者たちが起立するのであるならば、より劣った立場の者たちが着席しなおすものとする。三巡目においては、自分より後順位にくる者たちによって話される何かの問題に関するものを除き、如何なる者も話をしてはならず、その話をする者はどのような新規事案についても話をすることは出来ない。如何なる者も自分に割り当たられた時間を超えて話をしてはならない。
如何なる者も二十五歳になる者を除いて評議会に座してはならないものとするが、六十歳を超える者たちは評議会に残る事が出来るという様に、古い法律が改変されるものとする。戦闘において戦争の武器を携えてきた者たちは、そうではなく評議会へ入ってきた者たちよりもより高い地位を占めるものとする。
もしある者が評議会の会合中に眠るために離席するのであるならば、彼は一期の間再び会合に戻ってはならない。
他の者が立って話をしている間に出席者は評議会の会合から離れてはならないし、誰かが会合の外に出る時は、如何なる者も討論において話をしてはならない。
出席者は、評議会の会合の間に唾を吐いたり、あるいはへらへら笑ったり、あるいは身体の音をたててはならない。如何なる者も自分の発言時間を除いて、囁いたり話をしてはならない。
出席者は評議会の会合において、他の者へ悪口を言ってはならない。もしある者が告発することを望んだり、何かを疑問であると咎めることを望むのであるならば、彼は自分の発言の時にそれを述べるものとし、そしてそれが討論されるよう時間を割くよう要求するものとする。
次の言葉は外国人が入場時に宣誓する言葉である。「私は、「この囲い地の神」(The God of This Enclosure)の前にて、忠順に「神の」(His)やり方に従い、「神の」(His)命令に服従致します事を誓います。私は、「偉大なる道」(Great Path)の上でぐらつかない事を誓います。私は、あなた方の全ての法令に服従し、野蛮人たちによって苦しめられている状況においてさえ、戦争や脅威の面前においてあなた方に忠実であり続ける事を誓います。以上の事を、私は永遠に誓います。」
注1:原語は"quahties"。これは"qualities"の書き間違いであろう。
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