第三十二章 ネファタリの哀歌

彼らは私の愛しい主人を飲み込む墓へと置いて、彼らは主人を永遠に安全な静寂の中で永眠させる為に横たえました。私たちは立ち去り、自宅まで戻りますが、そこはかつての自宅ではなく、引き裂かれて沈んだ影の場所となっています。私と共に居るある者たちは沈黙して重々しく、ある者は泣き、ある者は泣いているふりをしています。ある者は静かに耐え忍び、ある者は無為に話をし、ある者は作り笑いで悲しみを隠します。孤独な心の痛みの時間です。

ある者はそれは終わった事だと言い、他の者たちは彼は空へ出帆していると言いますが、私は自分の魂に尋ね、そして魂はこれは終わりではないと告げます。終わったのではなく、これは始まりであり、全ての愛するものは、それらが新しい夜明けへと目覚める時にその始まりを知らなければならないのです。

地上的な教えの年月は後に残り、最後の課業が読み取られ、その弟子はこの世を去り、彼の指定された仕事を持ち去りました。彼は生命の家に生まれて注1来て、そして死が後に残されました。死んだ者はおりません、ただこの世を離れた生者であって、死は静かな墓所を単独で占めています。死は生命注2の始まりにおける小休止であって、より偉大なる日の光を前にしたためらいなのです。

死は欺く者、実在しない影たちのもの。這いまわる毛虫から光を愛する蝶が生じ、そして固い種子から満開の大麦が生じます。誰が、墓石の日付を見て、その中に木が存在するであろう事を見出すことが出来るでしょうか?種子を探しても、その木はどこにも見つかりません。霊においてさえそうなのです。

私は私たちに生命と愛を与え給うた「神」(He)を信頼します。しかし、私は失ったものの為に苦しむのです。私は独りぼっちです。私の主人、私が愛した人、喜びに溢れた私のカップを共有する人はどこにいるのですか?優しくなでる手、慰撫する触れ合い、不幸の時に私の心を強くしてくれた声、慰めの相談、「神」(God)が与えた痛みを払い去る静かな笑いはどこに在るのですか?彼が栄光へと去ったとはいえ、私の心は依然として縮こまっていて、独りぼっちの悲しみで心がずきずきと痛みます。

私は彼を心に留めましょう。彼が暗黒の中を彷徨う事が無い様に。というのも、彼は愛されて来たのであり、常しえに一人でいることはあり得ないから。私は彼を心に留めましょう。彼が絶望させられあるいは咎められて自力で歩むことが無い様に。というのも、彼は彼自身以上に愛して来た人だからです。

彼は、外套からのひと脱ぎのように、自分の肉体から歩み出ました。彼は、人が捨てられる衣服から離れる様に、その肉体を去りました。彼の未来は私の手にあって、私は、誰も私たちの再会を否定することが出来ない様に、賢く生きましょう。私たちをまだ結び付けているほのかな何かが、私にはそれが分かっていますが、それがまだあります。長い夜をそして哀悼の日々を通じて私を慰める愛の結びつきを決して壊さない強さが私に与えられますように。


脚注

注1:原語は"bom"。文脈からしてこれは、"born"の誤りであろう。

注2:原語は"hfe"。トランジスタの「直流電流増幅率」であるはずがない。文脈からしてこれは、"life"の誤りであろう。

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