第十八章 巻物の断片 その二

「加入と儀式の書」(Book of Initiation and Rites)は神について断言する。「我々の希望の全ては全てのものを創造した「神」の内にあり、それらはその状態の如何を問わず、この地上の場所または可視不可視を問わずどのような場所であれそれらがどこに存在するかを問わず、「神」の息によって支えられている。」

「「神」のみが草を美しく花咲かせ、すべてのものがその正しい順序と時期に現れるようにさせており、全てが「神」の監督する思考から流れてている。夕間暮れの地表を包む穏やかな美しさ、歌や言葉の旋律、花の芳香、花びらや羽毛の柔らかなきめ細かさ。人間の心を楽しませる全ての美しさや魅力は「神」より流れいでるのである。」

「「神」の知恵は無限であり、そして「神」の善良の内に、「神」はその中で人間の間で必要なものを作り出した全てのものを提供した。日光と風、食物と水、熱と涼しさ、人間の住居の素材、そして人間の衣服の生地、人間の日用のそして享楽の為の全てのもの。人間は自分の技量や知識を増やすであろうものに何も欠く事が無く、全ての有用なものに対し、道中に道しるべが置かれている。人間が生まれる前に「神」がまだ用意しておかなかったどのような必要物を人間は知る事が出来ようか?」

「「神」は全てのものの性質を確立したので、全てのものが安定を維持し、変わることなく正しい順序で現れる。人が大麦を蒔けば、彼は地面から何が芽を出すかを知っているし、彼の骨折りの褒賞は混乱ではない。」

「人は火をおこし、それが自分の食物を料理するであろうことを知っていて、炎が時には熱く他の時には冷たいという事は無い。人は夜の後に昼が来る事を知っていて、暗闇の時間は決まっており、偶然の産物では無い事を知っている。暗闇の時間は一日の長さで、翌日が短い訳では無い。オイルは灯火の為に、水は飲用に定められ、人は灯心を決して水で灯す事は出来ないと知っている。人は自分の周囲を見渡して混乱ではなく秩序を見出し、そして組織がある所には主催者が居なければならない事を知っている。」

「「神」の定めは人間の利益になるように定められている。その定めが安定に設定されていなかったならば、人間は偶然の弄びと大混乱の犠牲者以外の何物でもなかったであろう。それ故に、饗宴や断食の日々の時は、それぞれがその当然の時期の後にやって来るが、私は我が「神」の為の責務を常に思い起こすのである。」

「私は喜び、心を込めて賛歌を歌い、私は動く唇の偽善を遠ざけよう。私は約束の時期の開始時と終了時に霊の充足で喜び溢れるつもりだ。」

「「神」の命令は約束の時に成就され、そして骨折りの日々は他の日々へと進む。最初の採集の季節から収穫の盛りの時期まで、種蒔きの季節から実り豊かな時期まで、全てが海風の口づけの如く去っていく。」

「私は我が声を上げて、我が手は音楽と共に動かそう。私は弦を掻き鳴らして我が「神」まで立ち昇る甘美な音楽的な響きを届けよう。そして、我が息は「神の栄光」(His Glory)への旋律をもって笛を満たそう。夜明けで空が赤くなる時、私は喜びで我が声を張り上げ、そして宵に空が赤くなる時は、私は無言で居続ける事は無い。」

「おお「神」が私をあり様に造り給うた事を私はどのように喜ぼうか!本当に、「神」は全ての中にあり、全てを取り囲む。「神」の壮大さと荘厳さにおいて、如何なる人間も「神」を想像することが出来ない。というのも、「神」の神聖なる性質は人間の理解を超越しているからだ。「神」の創造物は畏敬させるし、「神」のやり方は底が知れない。」

「「神」の我儘な子らに対する「神」の愛は限りなかったし、豊富であった。その愛は遠い昔から変わる事無かったし、「神」の崇高なる目的で満たされてきた。「神」は、「ご自身」(He)がその愛を表現し分かち合うように(この世界を)創造したし、それは「神の」(His)性質の極めて本質的なものであり、存在するものは「神の」」(His)似姿として創造され、その存在はその愛を吸収しあるいは反射することが出来る。にも拘らず、神の愛が完全に無償であるとして、人間には自由意志が授けられたのだが、その自由意志を人間は邪に使用して来たのである。」

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