第十六章 第三のエジプトの巻物(断片)

もし人が「天界」(Heaven)を知ろうとするならば、最初に「地上」(Earth)について知らなければならない。人は「地上」を理解するまで、「天界」を理解することは出来ない。人は自分自身を理解するまで、「神」(God)を理解することは出来ない。そして人は愛されない事無しには、愛を知ることは出来ない。

「神」は計り知れないが、知る事が出来ない訳では無い。「彼」(He)は目に見えないが、見る事が出来ない訳では無い。「神」は聞こえないが、聞く事が出来ない訳では無い。「彼」は理解されていないが、「彼」は理解可能である。

人生の目的は上流へ向かっていく事であり、下流へ向かっていく事ではない。人間はその流れに逆らって格闘しなければならないし、その流れと共に漂ってはならない。

子供は、神が意図したその子供が知るべき事をすべて知った状態で生まれて来る。残りについては、その子供自身で見出さなければならない。人間は「神」の栄光を増大させるために生きるのではない。そういった事は為される事は出来ない。が、人間は自分自身の栄光を増大させる為に生きるのである。

空虚な儀式をもって崇拝する者はその時間を浪費し、自分の思考の浅薄さを提示する。人間が他の人間の為になる事をするのは良い事であるが、もしその人が「神」を喜ばせる事を追求するのであるならば、それは地上的なる王子の性質よりも上なる性質を持つ「神」に対する無礼を示す無知の骨折りである。持ち上げた手は、揺れ動く舌の十倍価値がある。

胆力と勇気の人であれ。戦の準備をせよ、というのも、「地上」(Earth)は人間に、戦うか又は死ぬかの二つの選択肢のみを与えるから。「神の庭」(Garden of God)において為すべき仕事はある。それ故に、無益な振舞や言葉を浪費する議論を止め、行って鍬を手に取り、処理すべき仕事に取り掛かれ。

次の事が人生の秘密である。人間は「神」の内に住み、「神」は人間の内に住む。これが全ての疑問に答えるのである。

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