第二章 カムシャーレ(Kamushare)の巻物

この肥沃な黒土の国では、太陽を崇拝する者たちがいて、彼らは全ての神々の間でその神が最も偉大かつ慈悲深いと考える。人々が「黄金なる者」(Golden One)の前に住むみすぼらしいやり方の主である「天の予言者」(Seer of Heaven)が自分の民をここへ導いた。

彼はこの肥沃な国へやってきた。今やそれは多数の大都市と満足した村を擁する快適な場所である。その定めの時期に水位が上昇したり下降したりする新鮮な水の大きな幅広い川がある。水路があり、成長する作物、草、そして木へと生育を促す水を導く用水路がある。緑の牧草地には羊の群れがあり、また畜牛の群れがある。

常にこうであった訳では無い。「ハレクタ」(Harekta)がやってくる前は、全てが不毛であり荒れ果てていた。原野と葦で満ちた湿地を分けるものは何もなかった。その時には、畜牛も羊もおらず、その土地は人の国を知る由もなく、何と呼ばれる事もなく灌漑されることも無く横たわっていた。

どの土地も種が蒔かれる事はなかった。というのも、そこに住む者たちは用水路の作り方を知らなかったし、自分の命令通りに水に指令して流れるようにする方法を知らなかった。街はなく、人々は地中の穴や岩の割れ目に居住していた。彼らは裸で歩き回り、あるいは葉や樹皮を纏っていて、夜になると野生動物の皮で自分たちを覆っていた。彼らは食べ物を得る為にジャッカルと戦い、そしてライオンから死肉をひったくっていた。彼らは地中より草木の根を掘り起こし、泥の中に生育するものの中に食物を求めた。彼らは自分たちを統御する法律を持たず、あるいは自分たちを導く指導者もいなかった。彼らは義務や責務というものを知らなかった。誰も彼らにその生活様式について物申さなかったし、そして誰も「真実」(Truth)の道について知らなかった。彼らは当時、完全に暗愚であった。

それから太陽のしもべ(servant of the Sun)がやって来た。人々をまとめ上げて彼らに規則を定めたのは彼である。彼は全土に渡り王として「ラムア」(Ramur)を立ち上げた。彼は人々に、男にも女にも、どのように夫妻として満足して共に暮らすかを示し、そして彼は人々の間で仕事を分割した。

彼は人々に穀物の種まきと香草の生育を教えた。彼は人々に地面の耕作方法と、用水路や水路の切り出し方法を教えた。原野にいる獣の道を人々に教えたのは彼である。彼は人々に金銀の加工方法を教え、粘土から容器を作る事を教えた。彼は人々に石の切り出し方法を教え、寺院や街の建築を教えた。亜麻布を作る事や目をいっそう喜ばせる衣服を構成する布地の染色については、彼は教えなかった。彼はまた人々にレンガの作成方法や銅の加工方法についても教えなかった。

その後、彼が死ぬとき、彼は人々に悲しむなと命じた。というのも、彼がその父の元へ行ったとしても、太陽は彼らを養子とするであろうし、そして全てのものが太陽の子となる事が出来たからだ。かくして、多くの者たちが太陽の子やしもべになり、そして彼らは自分たちが聞いてきた事、太陽が自分たちの父であり、善の光が全土を監督している事を信じた。全ての生けるものを支えているのはこの光であるが、その中には霊を支えるより大いなる光が存在している。それは人々の心を啓蒙する光である。人々の日々の仕事を導き、彼らを害悪から遮蔽する、より小さな光がある。人々の幸福や病気へ影響を及ぼす目に見えない光があるが、寒さを追い払い、全ての人々を温かくするのは「大いなる光」(Great Light)である。それが与える温かさは人間の収穫を熟せしめ、その(家畜の)群れの収量を増加せしめるのである。

「大いなる光」(It)は、天空を一方の端からもう一方の端へと移動する間、「地上」(Earth)の人間たちの全活動を見渡し、かくして全ての人々に必要なものを知るのである。それ故に、太陽の如きあれ、先見の目を持って将来を用心し、貴方の日々の仕事に従事している間貴方の所へ出入りする物事に規則正しくあれ。

人々の教導者兼リーダーが去った後、彼らは自分たちが太陽の子ら(children of the sun)であると理解した。彼らは好戦的であり、他の種族をその名において征服し、そして彼らを自分たちの規則へと従わせた。そして、太陽へ向けてそびえたつ大寺院が建設され、そして当面は人々の無知によってこの国の人々によって確立されたより大いなる神々を置き換えた。「一つの真実なる神」(The One True God)については置き換えられなかった。というのも、「真実なる神」(True God)は凡俗なる者や無知なる者の目から常に隠されていたからである。

それから、太陽の規則に従う者たちの間のある僧侶たちがその霊を盗んで持ち出し、彼らの神々の彫像や偶像を活性化させようとした。かくして、あらゆる劣った神々を活性化させる霊は、捕らわれの身となっているただ一つの霊であり、人々が考えるように多数あるわけではない。

その後、東方から「賢者たち」(Wise Ones)がやって来て、彼らは人々に他の考え方を持たせるようにした。賢者たちは「天界」(Heaven)のやり方を知っていた者たちで、そして人々に問うた。「太陽の霊が実際に至高であるのか、これは多くの思考を要する事ではないのか?その動きをよく考えよ、その来し方行く先を指示されたものにより良く似ていないであろうか?太陽は意のままに自由に動き回っているであろうか?あるいはそれは、くびきに繋いだ牛や、穀物を踏むロバのように制限されていてその指定された道を保っているではないか?太陽は意のままに「冥府」(Netherworld)より立ち昇り、あるいは自分自身の命令によって暗黒の洞窟へと降りていくのであろうか?太陽の通り道は人の手によって放り投げられた石のものにより似ていないだろうか?太陽は、自由にさまよう神というよりもむしろ、人の意思によって制御されている舟に似ていないだろうか?太陽は主の指示の元にある奴隷により似ていないであろうか?」こういった言葉が人々の心をかき乱し、ある者はそれらについてじっくりと考えたが、他の者たちは、人のやり方に従って、こういった事の真実を否定する者たちに対して死を叫んだ。

しかしながら、話された事のため、古い神々への信仰は強まった。というのも、人々は決して最初の水路が掘られる前から彼らと共にあった「ウシラ」(Usira)から離反しなかったからである。彼(ウシラ)は高貴なる生まれの神ではなく、より身分の低い人々の神であった。

ここは注1二つの人種、二つの国、二つの司祭職、二つの知恵の系統、そして二つの神の階層の地である。そこは、「真実」(Truth)の光、ごくわずかな者たち以外の目からは隠された思考が明るく燃え立つ土地である。そこは、「地上の夜明けの国」(Land of Dawning on Earth)である。


脚注

注1:原語は"Thisis"とつながっているが、これは"This is"の誤植であろう。

Copyright© 2015-2022 栗島隆一 無断複製・転載を禁ず