第十四章 ヨシラの艱苦

次の事は、「二つの道の書」(the Book of the Two Roads)に書かれていた事である:ヨシラ(Yosira)は、その本ではヨシラ(Yoshira)と呼ばれているが、「アソールの王国」(Realm of Athor)の向こうからやって来て、「テハムット」(Tehamut)の最初の王となった。彼は新月の祝祭、毛糸伸ばしの祝祭(festival of wool drawing)、そして祈りの日を確立した。最初に彼がその存在によってその土地を明るくした時、そこの人々の暮らし向きは、人間は二重の霊的存在であり、その魂の所有を巡って「善良なる霊」(Spirit of Good)が「邪悪なる霊」(Spirit of Evil)と戦っていると教える偽りの僧侶たちの手の内にあった。各人の行いや考えは敵対する一方またはもう一方を強めると言われていた。人々はそれを受け入れるにあたって完全に騙されているという訳ではなかった。それはもしかすると反映された「真実」(Truth)の地上的に歪められたものであるが、どちらも完全に正しいわけではない。古の時代においては、人間たちはぼんやりと「真実」を見出した。というのも、それは人間たちの理解力に応じてただ部分的に現れるものであったからである。「真実」とは人間の無知の暗愚の中で一層明るく輝く光であり、世代が過ぎ去り塵へと下って行くにつれて、人間たちはより明確に見るようになるのである。それぞれの光の担い手は少し多くの暗愚を霧消させる。そしてヨシラは光の担い手であり、それらの内でもっとも偉大なる者であった。

ヨシラが燦然たる光の灯を携えてやって来る前、この土地において「真実」はただぼんやりと認識されていただけだった。当時の偽りの僧侶たちは、「偉大なる神」(Great God)が人間を創造した時、「神」はお気に入りの人たちのための特別な贈り物として不死を隠しておいたと教えた。これは「偉大なる者」(One Who is Great)の姿勢ではなく、それ故にそのような教義を受け入れることは出来ない。そういった僧侶たちが自分自身らを惑わせることは、彼らを信じた他の人々を惑わすことに比べると、それほど大きな悪事というわけではなかった。本物の僧侶は、「真実」の聖堂に出来るだけ近くに歩み寄り、彼の能力と同じ程度に明瞭にそこで見るあらゆる物事を解釈すべきであり、それによって彼の信徒たちの理解が可能となるのである。遠い昔の当時は、誰も知恵と啓蒙を持って生まれ変わることがなかった。それ故に、「光の庭園」(Gardens of light)については何も知られていなかったし、人間たちは「暗黒の住処」(Dark Abode)だけを信じていた。この「暗黒の住処」は、砂と塵が、その体が長い毛と羽毛に覆われた体を持つ死者の食物である場所である。遠い昔のその頃では、人間たちはそれ以上のことをほとんど知らなかった。

当時の人々はまた、栄光へと高められた魂は、それが使用する為に提供された食物を食べ、衣服や装飾物を纏っていると信じていた。彼らは、我らが知っているように、魂はそれ自体が名状しがたいものであるが故に、名状しがたい要素以外地上的な物の何物をも使用できないということを知らなかった。今日においてさえ、栄光へと高められた者たちが自分たちの分を受け取ることができるように、彼らの像の前で香がたかれている。魂の食物とその継続する生命が地上の親類を毎月の霊的交渉のための生贄とすることに依存すると考える者たちがいた。

夜にランプを持って歩く人が暗闇に潜む者たちによって襲われるように、無知の暗闇へ光をもたらす指導者は、暗闇がその真の姿にて自分自身を現わす者たちによって襲撃される。

かくして、ヨシラが、人々の日常生活において男や女たちを殺すことを許さない一方、それにも関わらず子供を犠牲として殺し、あるいは彼らが建てた柱の下に埋めることが許されている人々に対して強く抗議した時、彼は神々の敵として罵倒された。

ヨシラが「生命の川」(River of life)の遠い上流の土地に居た時、ヨシラの右手近くに立っていた「アズラ」(Azulah)と言う名の者が「ヒョウ」(Leopard)の一門である男を殺した。この件はその人々の神を立腹させた。というのも、殺された男の血がその神に呼びかけたからである。それ故に、「ヒョウ」の男たちが、彼らの神に対する罪のためにアズラを殺すことを求めて「東方」(East)の地へとやってきた。が、アズラは隠れ場へと退却していた。そこで、彼らは捜索が空振りであることを悟ると、「ヒョウ」の男たちは自分たちの場所へと戻り、捜索の失敗を彼らの僧侶へと知らせた。僧侶はそれから戦力を神に求める儀式を催し、大勢の戦いの力を招いた。そこで、ヨシラはアズラの最高君主なので、「ヒョウ」の男たちは出発してヨシラと対峙し、戦争の権利を主張した。

しかし夜になって、敵対する軍隊がヨシラの野営の前で待機していると、戦争の僧侶は自分自身を汚したので、その戦いの力はヨシラと共にいる者たちの心の勇気をくじくことに失敗し、その戦争の僧侶はその戦いの力に対する制御を失った。

かくして、戦いの力はヨシラの手に渡り、そして彼はそれを投げ返したので、その力は「ヒョウの男ら」(Men of the Leopard)へと降りかかって、彼らの膝はガタガタとなり、はらわたは下り、彼らはその場所から逃げて行った。

「ヒョウの人々」(Men of the Leopard)は、流水の日の入りの側に面した森の中に住んでいて、ヨシラは彼らをそこまで追った。彼は鬱蒼とした森へと入らなかったが、流水の真ん中の島へとやって来て、そこに野営地を張った。彼には釈放した囚人がいて、その男を次のメッセージを持たせて僧侶のもとへと遣わした。「安心して来なさい。私が貴方の不満を聞き、それが正しいかを判断することができるように。」しかし、「ヒョウの男ら」の僧侶たちは流水の端までにしかやって来ず、それ以上は進まなかった。そして彼らは流水越しに大声で呼んだ。「今までまさしく正しかった事はもはや正しくはない。というのも、この件は今や我々の一族と貴方がたとの間で解決すべき事である。血は今でも血を求めて強く抗議しているのである。」

それを聞くと、ヨシラは応えた。「我々は賢くなろう。我々の上に裁き主がいらっしゃる。なので、「流水の神」(God of the Moving Waters)に問題の判決をお願いしよう。」これに対し 注1 、僧侶たちは言った。「いいだろう。」それからヨシラはアズラをボートに連れて行き、南風に向かってその流水の中を彼を乗せて漕いだ。ボートを停めると、ヨシラは水中へ飛び込むようアズラに命令し、彼が水泳で試されるようにし、アズラはそのようにした。彼は力強く泳ぎ、「流水の神」は彼を持ち出していかなかった。というのも、ヨシラが自分の力でその流水を覆っていたので、その流水はその泳ぐ人を持ちこたえさせ、彼を岸まで安全に運んだのであった。

その後、ヨシラは「ヒョウの人々」の頭たちと共に座り、彼らや他の人々とも同様に誓約をした。それは次のようなものであった。ある人が自分の一族のもう一人の人を殺したのであるならば、その一族の誰であっても彼を保護してはならず、そして彼は殺されるか、または自分自身の血族の人たちから追い払われるものとする。しかし、その殺された人が殺した者の一族と異なった一族の人であるならば、その殺した者はいずれかの一族の人々によって殺されることができる。もし殺した者の一族が血の代償を避けるのであるならば、彼らは殺された人の一族へ証拠となる物を、その行いの理由と併せて送らなければならない。また彼らはその血は彼らの頭の上にあり、復讐がその手の内にあることを是認しなければならず、そのような復讐の理由は没収物と共に殺された人の一族へと送られるものとする。

その後、すべての一族は大いなる誓いで自分たちに義務を負わせ、もし血が虚しく地面より叫びを上げるのであるならば、夜の脅威と地の影が呼び出されて、殺された者の一族へではなく、殺した者の一族へと降りかかるであろうことを宣言した。

ヨシラが彼の息子たちに次のように話したのは、先の誓約が結ばれた頃であった。「次のものは呪われており、食べてはならない肉である。どのようなものであっても、独りでに死んだすべての獣の肉。どのようなものであっても、地位の低い神々への犠牲として殺されたすべての獣の肉。どのようなものであっても、野の獣によって殺されたすべての獣の肉。そして、入り口の石へ捧げられた全ての肉。こういったものは、食用に適さない肉である。」

ヨシラがその地をあまねく訪れて清め、その邪悪さを呪いで呪縛していた時、彼はそこに住む者たちに水路の作り方を教えた。彼はまた天の印の意味について彼らに教えた。彼は葦の地(reedland)の真ん中に「ピセティ」(Piseti)を建築し、その沼沢地を干拓した。その後、彼は煉瓦と石でできた初めての寺院を建築した。この時点において、彼は日数や季節を記録する者たちを指名した。

ヨシラがピセティに居た頃、そこの僧侶たちはヨシラに対抗するように人々を扇動したので、彼は息子らや血のつながりのある一族と共に「神の地」(Land of God)へと逃れた。しかし、彼の妻と最も若い息子はヨシラに同行しなかった。というのも、彼らは、大河がそこから流れ出る土地にいるその妻の父と共にいたからである。その土地は「カントヤムトゥ」(Kantoyamtu)と言い、そこの僧侶たちが死は人間の通常の運命ではないと教えた場所であった。これらの僧侶たちは、その地の人々の太古の父祖は人間たちとまったく同じように死すべき定めたる者であったにもかかわらず、彼らの父祖の父たちは「地上」(Earth)での不死の継承者であったと言った。これは誤った教えであり、人間の「幼少期」に所属するもので、後ほどの人間たちは、死は魂と共に飛び立つ生命のただの離脱であると教えられたのである。

ヨシラがピセティにいた間、彼の真の息子マニンドゥ(Manindu)は、大群の人たちであり真鍮職人である「メシティ」(Mesiti)に号令を下していた。彼らは全地を鎮圧し、その地をヨシラに返還した。後に、その地はマニンドゥの手に引き渡され、その紋章は今ですらなおそこにある。

マニンドゥの時代の後、人々は「神々の神」(God of Gods)を忘れた。というのも、「神」は人々から離れて現れ、そして人々は僧侶たちが考案した他の神々を崇拝したからである。光は薄暗くなって、小さな隠れた宮にてみすぼらしく反映していただけとなった。


脚注

注1:原文は、"To diis,"。文脈からして、"To this,"の誤りであろう。

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