第十二章 ヨシラの戒律

ヨシラは彼の周りに息子らを集め、彼らに次のように話した。「これらは暁の光の日々であり、そして私はバシル(Bashiru)の向こうからの「暁の光をもたらす者」(Dawnlighter)である。私は「神々の神」のための「松明を運ぶ者」(Torchbearer)である。次のことはテウォー(Tewar)の地の我が人々のために私が作った戒律であり、すべての神々の上なる「神」の口と共に話されたものである。」

「槍や矢をを死体の中に入れる者は呪われ、その者の手や腕は邪悪な物とされなければならない。その手と腕は腫れあがり、炎によって焼き尽くされるであろう。同様に、そういった武器を他の人に対して放つ者も呪われなければならない。が、武器を放つのがタムエラ(Tamuera)の人であるならば、その人はタムエラの人々によって死を遂げるものとする。というのも、その者は呪いの範囲外であるからである。」

「人間の背丈の二倍以上まで伸びた木は、燃やすために切り取ったり、あるいはその地面から引っこ抜いてはならない。が、もしそれが手斧に供されており、そして木工職人によって使われるのであるならば、それを切り取ってもよい。木々は軽く扱われるべきものではない。というのも、木々は地表を渡る風を動かし、「北」(North)や「南」(South)の大森林にてそういった風を生み出しているからである。木を「屠殺」する者は、雄牛や羊を屠殺する者ほど悪くないということはない。というのも、それぞれに同じ生命の息があるからである。それ故に、木々を気ままに低級なる物としてはならない。木々は、この土地の人々によって聖なるものとされていないであろうか?巨木や木々の森を、無言の石や材木より切り出した物よりも、ひとりの神へ捧げるほうがより道理に合っているのではなかろうか?」

それ故に、ヨシラが人々の間を移動している時、彼は人々のたわわに実った果樹園を禁じることはなかったし、その世話をする女たちの言葉を黙らせることもなかった。しかし、ヨシラは言った。「これらのことは女たちのためのものであり、男たちのためのものではない。女たちに耐え忍ばせよ。が、男たちは男たちのための仕事に就くべきであり、その場所はたわわに実った果樹園の間ではない。」

さて、ヨシラが人々の間へやって来た時、人々は、夜間に人々を悩ます流水の神を恐れて、川から離れた場所に住んでいた。が、ヨシラはその流水の神を縛り上げたので、その神がもはや人々を悩ますことはなくなった。その後、ヨシラは人々に命じて流水の傍に住居を建てさせ、静水が魚の生命で満たされない限り、その静水の傍に住んではならないことを命じた。

当時は、人々は捧げものと崇拝によって「形なきもの」(Formless One)と「夜の霊」(Spirits of the Night)をなだめようとしていた。が、ヨシラは人々にそれを禁じ、いかなる「暗き霊」(Dark Spirit)も侵入することが出来ず、内部に存在するその「暗き霊」のすべてが力を失う保護壁でその土地すべてを囲んだ。あらゆる「暗き霊」たる存在は、男であれ女であれ、鳥獣の形態をとっているものであれ、閉じ込められて「暗黒なる場所」(Place of Darkness)へと送り返された。

すべての人々は森の獣、家禽、または蛇の一門の血統であり、彼らの親類関係に従って一緒に住んでいて、それによって分けられていた。ヨシラは彼らの親類関係を禁ずることはなかったが、血族のしきたりを禁じた。彼は人々に次のように話した。「人々を一緒につなぎ、その父祖と共に仲間に加わることの絆は素晴らしい事である。が、より素晴らしい事は、各人自身、各人においてだけに存在する運命であり、各人の親族のなかにあるのではない。人間は生命の流れの中の一滴の水ではなく、その流れの中を泳ぐ魚なのである。が、そういった事が今まで存在し続けてきた限りにおいては、24の素晴らしい血縁関係は、その創立した状態で確保されるべきである。」

ヨシラがやって来る前は、男は彼自身の血族の女を妻とすることが出来なかった。が、ヨシラは血をもってその地を改善し、不毛さに対して保護した。それで、それ以降は、男は自分自身の血族から妻を娶ることが出来るようになり、なおかつその地は実り豊かさを維持した。これにより、「生命の霊」(Spirit of Life)が人々の間で強化された。というのも、それが広がって希薄なものとなったり弱まったりすることがなくなったからである。

ヨシラが来るまで、この土地の誰も人々を恐怖と畏怖で満たすホキュー(hokew)を知らなかった。が、ヨシラは息子たちにその秘密のすべてを明かし、その秘密は今日においてさえ知られている。ホキューは「暁の居住者たち」(Dawndwellers)を支えるものである。それはほんの薄く地上あまねくに広がっているものであり、ヨシラの前時代には、人々はそれを集めて石や聖なるものに蓄えることが出来た。それは、女たちが井戸から水を引き上げるように人々の霊によって利用されることが出来る。豊饒さをもたらすのはホキューであり、羊の群れを繁殖させ、そして穀物を増産させる。その秘密は「二度生まれし者」(Twice Born) 注1 によって知られていた。

ヨシラは、困窮の時にあって、カノグマフ(Kanogmahu)にて彼の「父」(Father)を求めたにも関わらず、彼は息子たちに同じように「神」を求めることを禁じた。というのも、ヨシラは地上において彼らの父であり、「入場の間」(Hall of Admission)における代弁者であったからである。それ故に、誰も罰を受けずに「神」を呼ぶことができなかった。というのも、もし「神」がそういった者たちに対応したのであるならば、「神」は「暁の居住者たち」の間の仕事を怠ったであろうからである。

同様に、如何なる者であっても、「この世を去った者」(Departed One)の霊を呼び出すことが正当化されることはない。というのも、彼らは人間たちの日常の事に対して関心がないからである。

ヨシラの息子らが人々に関する戒律を確立した時、人々の長たちはヨシラの所にやって来て、ヨシラを彼らの王とし、そしてヨシラが人々を支配することを望んだ。しかし、長たちがヨシラの前にやって来た時、ヨシラは長たちの望みに対して次のように返事をした。「私は「神々の神」の口であり、私の人々の光である。私は貴方がたの王の父、王の足取りの指導者となろう。しかし、私は貴方がたの王となることはできない。というのも、私は「神々の神」への勤めに奉じているからである。」このように言って、ヨシラはその後成人まで成長した彼の息子を連れて、手を取って彼を前に導き、人々へ彼らの王となるよう差し出した。

後で、人々の長や統治者たちが彼らの王を聖別した後にまだ集まって残っていた時、ヨシラは「神」の口として彼らに話しかけた。彼は言った。「人と人の間を正しく裁くことは王とその立場にある者たちの最も重要な責務である。それ故、今日この日から後、木の下に座って、葉の間からささやかれる言葉に耳を傾ける者によって裁判が行われてはならない。が、もし3人の者が遠く離れて座り、それぞれが似たような判決をし、彼らの口からの言葉が同じようなものであるならば、その判決は妥当なものであるとする。しかし、もし生命を奪ったり、財産を没収したり、家族が分断されたり、男や女が奴隷とされたりすることが出来る場合であるならば、判決は、王または王の外套を着、または王の重責を負う者によってのみ為されるものとする。」

「聖なる水とはホキューの力で満たされた新鮮な水のことであり、聖別と清め以外のいかなる目的にも使用してはならないものとする。そのような水は妻が姦淫をしたかどうかを決めるのに用いてはならないものとする。今後、そのような妻は苦い飲物によってのみ試されるものとする。」

「豚肉を食べる者は呪われるであろう。というのも、豚肉を食べることは人間たちの父祖や忌まわしい事に向けられた何かを食べるという事であるからである。ロバの肉は食べてはならない。というのも、それは人間の活力を減少させるからである。」

「これより後、死人の死体は損壊させたり燃やしてはならない。というのも、死体の中のホキューが「肉体の主」と共に立ち去ってしまうからである。それ故に、燃焼の炎を通じて人間の地上的な外套の実在を明け渡すことによって、如何なる物も「勝利を得たる者」(Victorious One)に対して付け加えることはできない。」

「人々にあっては、自分たちの饗宴や豊饒の祭儀が否定されないものとする。彼らの供え物は、如何なる神へ対するものであっても、取り上げられてはならない。人々の神々が今日あるように、その神々は残り続けるものとする。というのも、それは人々の目的に役立つからである。人々は自分たちの神々を、自分たちのやり方で描いてもよい。というのも、そのような神々の似姿の重要度は小さいからである。しかし、「神々の神」の似姿は、如何なる者によっても形作られてはならない。というのも、「神」は人間たちの理解を超えた存在であるからである。如何なる者も「神」の似姿を水中に見出そうとしてはならない。」

「国土を引き上げた神に対する祭礼は人々に禁じられることはない。が、もはやロバの肉を食してはならない。というのも、それは今や禁じられているからである。父祖たちの饗宴のための期間は、長寿の賜物がそれによって切り詰められるといけないので、短縮されてはならない。生命力の分配は父祖たちと共にのみ起こり、 豊饒と幸運を授ける力は父祖たちの管理の下にある。穀物の芽吹き 注2 、獣群の繁殖、魚の収穫、男たちの性的能力や女たちの受胎能力、狩猟の出来高、そして戦争での勝利といった事を管理する者たちに対して、すべての相応しい名誉と尊敬が与えられるのである。」

「砂に他の者の似姿を描き、炎で固くした棒をそれに突き刺すことによって、危害や死をもたらす者、あるいは蝋で他の者の似姿を作り、それを炎で燃やす者、あるいは粘土で他の者の似姿を作り、それを棒や針で突き刺す者は、これより後呪われる。その者は病気や死のルキムへと引き渡されるであろう。」

「他の男や女の地面に映った影を奴隷とするために、生の穀物と油を混ぜ合わせる者は、呪われるであろう。他の者または夜の脅かす者の夜の影を呼び出す者は呪われるであろう。そのように呪われたすべての者は、病のルキム(lukim)へと引き渡されるか、「形なきもの」の餌食となるであろう。」

「女が妊娠できるように、乳児の肖像を作成する事は悪い事ではない。しかし、女が妊娠できるように男のプライベートな器官の似姿を作ることは悪い事であり、そのような似姿を作成したり、そのような似姿について嘘をつくいかなる女も呪われるであろう。そのように呪われた女は、病気と苦痛のルキムへと引き渡されるであろう。」

ヨシラが「ハルファンティ」(Harfanti)へとやって来た時、彼はそこで彼を立腹させた奇妙な慣習を持つ人々を見つけたが、彼は「神々の神」の目に悪となるもの以外の如何なる事も禁じることはなかった。そこにいる間、彼は戒律を犯す如何なる者に対しても強力な呪いを仕掛けた。

以下はヨシラの口から話された言葉であり、彼が記録させたものである。「今後、如何なる乙女も結婚の前に七日の間、樹皮に包まれて暗闇に拘留してはならない。が、その乙女は女たちの間に隔離されて保護してもよい。もしその乙女が清められなければならないのであるならば、水によって行うものとし、炎によって行ってはならない。女は、その邪悪さを取り除くために、その女の手足が切断されてはならない。」

「今後、若い女たちのプライベートな部分は、その処女性を保つために縫い上げられてはならない。そういった事は彼女ら自身の管理に、また誠意と信頼のうちにその若い女たちの親族の管理に帰属するものとする。如何なる女のプライベートな部分であっても、それを縫ったり切断したりすることは、大いなる邪悪である。というのも、それは生命の門であり、女は不当な守護者ではないからである。結婚の日まで、女たちが、自分自身の自由意思と選択によって、処女を維持することが一番良いことである。が、もし、その乙女の弱さ故に、それが疑わしいのであるならば、その責務はその乙女の親族にあるものとする。」

「若い女たちの脚が一つに縛り上げられ、若い男たちが共に寝るためにその寝室へと入ることができる「ハブシャスティ」(Habshasti)の慣習は、邪悪な事であり、もはや許容されることはない。今では、乙女の裸を見出した男はだれでも、罰せられないことはないものとする。」

「男は、例えその女が彼の妻 注3 であっても、出産時の女の裸を見てはならない。出産小屋とその圏内のすべては、男たちに禁じられた場所である。今後、如何なる女も出産時に吊り下げられてはならない。」

「もし狩人が狩猟の間に殺されたり怪我をしたりするために、その狩人が留守の間にその妻が他の男と共に過ごしているのであるならば、その女の夫またはその女の夫の親族が彼女を殺したとしても何も悪い事ではない。その親族または夫が妻と共に寝た男を殺すとしても、そういった事情は流血の殺害のための原因とされることもない。」

「男の包皮は性的不能のルキムを拒むために切除される。それは人々に対して禁じられてはいないが、その包皮を脂肪として保存し、ホキューの石を与えるために使用してはならない。包皮を縛ることは禁じられている。」

ヨシラは、他人に属する「肉体の主」(Lord of the Body)を捕獲して奴隷とした者たちに、すべての呪いの内で一番強力な呪いをかけた。その日から、そのようなことをして生き延びた者はいない。ヨシラは同様に、土地の不毛さの為に新生児を焼いて食した女たちの上に呪いをかけた。彼はまた、そういった女たちの親族の長にも呪いをかけた。

以前は、畜牛や羊の子宮の中で十分に成長した仔は男たちだけのための食べ物であったが、その獣が早産で産み落とした時には、その仔は女専用の食べ物となった。ヨシラはこれを禁じて、時満ちずに獣の子宮から生じたすべての仔を呪った。

ヨシラは以下の事を「ヤプ」(Yapu)にて記録させた。「如何なる子供も次のように言いながら故意に殺してはならない。「我々の神はこの子に適当な食物を与えなかった。」すべての神々の上に「生命の神」(God of Life)たる「神々の神」(God of Gods)があり、こういった事を言い触らす者たちは、「神」に逆らって虚偽を言い触らすのである。しかし、そういった者たちは、彼らに話された「神々の神」の法を聞いた日の後まで、呪われることはないであろう。その時の前においては、彼らを導くべき者によって邪道に導かれ、そしてその首謀者の上には呪いが降りかかるであろう。」

「これより後、空となった死体はそれ自体に対してきっちりと縛られてはならず、伸ばしておかなければならない。というのも、一旦その「主」(Lord)が旅立った後、地上的な肉体は生まれ変わることが出来ないからだ。人々が死体を運ぶ事は禁じられないものとし、また死体を高く持ち上げる事が制止されることもないが、夜の暗闇の中で「形なきもの」を呼び出すといけないので、新鮮な水の上に吊るしてはならない。」

「もしある人の親類がその人を悩ますために夜分にやってくるならば、炎を維持する物質で満たされた中空の丸太へと通されたホキューの力によって、その者の夜の影を縛るものとする。その丸太はその後浄化する炎で燃やされ、その灰は貴方がたの父祖のやり方に従って埋める。が、そのホキューは元に戻してはならない。作物や木々が豊富に収穫される者から取得するホキューが一番良い。」

「男たちの生命の霊は、流水の中に宿ることはなく、それ故に水の流れより女の中に入ることは出来ないし、女自身の羊水が地面から吸い上げられることもない。木が一個の種から芽吹き、大麦が一粒の穀粒から芽吹くように、男たちの種についても同様である。女の子宮の内部で形作られるものは、男のたくさんの流出物から作られるのではなく、一回だけで十分である。もし、女の月経が止まらないならば、その女は身ごもってはいない。というのも、中にある生命は女の血の血であるからである。」

「如何なる者も、自分の羊の群れや他の獣群を増やすために、目的の獣の似姿を作ってそれと共に寝てはならない。というのも、これより後、それを行う者およびその者のすべての獣たちは、呪われて、病気となりそして死ぬからである。また、如何なる男も木製または石製の物体の中に自分の種を注ぎ込んで埋めてはならない。もしそうするのであるならば、その男は、永久に恐怖の夜の影によって悩まされるかたちで呪われるであろう。」

「獣の似姿を作成する魔法使いに訴えて、その種が矢や槍へともたらされるようにすることは愚かな事である。野獣を求める者が、その人の住処の親族によって集められたホキューによってその能力が与えられたのでなければ、如何なる物もその者の歩みを導き、腕を強くすることが出来ず、その者の目が抜け目なく見ることもないであろう。狩人の成功は、魔法と共に見いだされるのではなく、その者の住居内の親族の善良さと正直さに依存するのである。」

「もし女が若い男から種を取ってそれを魔法使いへと引き渡し、彼女から不妊を取り除こうとするのであるならば、その女とその若者、そしてもしその女が身ごもっているならばその子供らも同様に、呪われるであろう。その若い男は人間の心臓をご馳走とするルキムによって捕捉され、そしてその女は引き裂いてはらわたを開くルキムによって捕らえられるであろう。」

「男たちが自分で去勢することは、「神々の神」の目に忌まわしきこととなるであろう。そして、そのような事をする者は全て呪われるであろう。自分たちの神の為に自分自身で去勢する者たちは、代わりに彼らの包皮を捧げものとしても良く、そしてこれはどんな神によっても受け入れられるであろう。女として生まれなかった事に対する感謝の祈りは、祭壇上の犠牲の時間に捧げるものとする。」

「男や女の排泄物は、如何なる者の目にもさらされて放置させてはならない。また、その臭いが鼻腔にまでやって来る場所に放置してもならない。あるいは、如何なる者も、もう一人が排泄物の臭いをかぎ取れる場所で水を渡してはならない。というのも、それによってその臭いが入って来る鼻腔を持つ者は、もう一方に対して力を獲得するからである。人間の排泄物からの臭いは、形なきランバタ(lambata)を引き寄せ、それは男たちや女たちを夜に悩まし、彼らの腹を下痢へと向かわせるのである。」

「いかなる肉の捧げものも生で食べてはならない。それは炎の前であぶり、その骨は粉状へと叩き潰して食事と共に食べるものとする。もし、捧げものを居所内で消費するのであるならば、余分なものとして残した血液は、夜に出没する暗い影や死をもたらす者たちが生命の力で撃退されるように、扉の柱へ塗りつけなければならない。」

「自分の母または父であった「この世を去った者」のための食物を提供することは、息子の義務であり、その息子は自分の兄弟姉妹あるいは子供を持たない親類を放置してはならない。もしその息子が自分の義務を顧みないならば、満足するまで執拗に彷徨う「この世を去った者たち」の地上の影による邪魔を逃れることは出来ないであろう。もし、放置によって、そういった者たちが地上で安定した状態に至るように「形なきものたち」が呼び出されるならば、それらは夜の暗闇の見張り番を悩まし、その恐ろしい形を維持するために生命に満ちた血をすするであろう。如何なる者もそういったものたちを自分の住居から締め出すことは出来ない。というのも、そういったものたちは、まさに蛇のようにこっそりと入って来るからである。」

「魔法使いたちが「暗き霊たち」を呼び出すことは、悪い事である。啓蒙された土地の境界内にて、そのような事を行う如何なる魔法使いであっても、夜の悪鬼によって捕らわれるかたちで呪われるであろう。もしそのような事が為されると、その「暗き霊たち」は制御不能状態で彷徨い、「二度生まれし者」たちの内の一人に依頼して、「暗き霊たち」をその暗黒の住処へと戻すものとする。」

「人間たちが邪悪の道を避けるのは、十分ではない。というのも、「肉体の主」が光輝を纏っていないのであるならば、「暁の地」(Land of the Dawning)で待つ者たちは虚しく待たされるであろうからだ。「光の場所」(Place of Light)へと連れて行くであろうものに欠けている者たちは、「暗き場所の主たち」(Lords of the Dark Places)の餌食へと陥り、彼らを愛する者たちにとって永遠に失われてしまうであろう。」

「「死者の召喚者」である者たちのすべては、呪われて狂気のルキムへと引き渡されるであろう。もし私の人々の誰かがそれに関わるのであるならば、彼らもまた夜の恐ろしい者の餌食となるように呪われるであろう。「この世を去った者たち」に相談することは無益な事である。というのも、ほとんど重要ではない物事についてアドバイスをする以外に、彼らは何が出来るであろうか?もし彼らに伝えるべき重要な何かがあるならば、彼らは自発的に理解力のある人たちのところへやって来て、それを知らせるであろう。」

ヨシラが息子たちや従者たちと共にタムエラの真実の土地へやって来た時、彼は邪悪なそして無知なやり方に従う「カンティヤムトゥ」(Kantiyamtu)の人々と奮闘した。 彼は「ガブ」(Gabu)の時代の間、タメルア(Tamerua) 注4 の人々の間に留まり、現在流水の傍にある葦の住処に「天空を読む者の寺院」(Temple of the Skyseer)が建っている場所に住んだ。

当時は、「地上」(Earth)の人々は、女の子の体内にある力を用いて「暁光の地」(land of Morning Light)にいる者たちと自分自身を結び付けていて、このようにして自分たちの親族のホキューを保持しようとした。ヨシラがその邪悪な慣習を見た時、彼は全地と女の子の体を引き裂くすべての者たちの上に強大な呪いをかけて、女の子の肉が人々の体内から叫びを上げるようにした。それ故に、その土地は強力な疫病で打たれた。これより後、開けた土地の如何なる者も男や女の肉を食べることは決してなく、どのような女の子も大きな邪悪さや無知のうちに損なわれることはなくなった。タムエラの人々はヨシラの呪いを非常に恐れた。」

ヨシラは、ホキューの力は肉体の肉の中に存在するのではなく骨の中に存在し、それぞれの骨が男と女のすべての本質の精を含んでいると人々に教えた。その後、人々は、「暁光の地」にいる「この世を去った者たち」とのつながりを、骨の力によって得ようとするようになったが、ヨシラはそれが無益であると知りつつも、それを禁じることはなかった。しかし、骨の中に癒しがあり、人々がそれを引き出すことができる状況については、ヨシラの気に障ることはなかった。というのも、人々の善良に関係するすべての物事は、彼の目に良いものであったからである。それにもかかわらず、彼は女たちにその夫たちの骨の重荷を背負うことを禁じ、そしてその後は彼女らを悩ます影が起こることはなかった。これは彼が引き出して全地を覆わせた保護力によるのであり、その力は女たちの重荷を和らげ、彼女らの背中から取り除いたのである。

「暁の地」(Land of Dawning)から影を呼び出す全ての魔法使い、そして全ての「いたこ」(Questioners of the Dead)や「死者を召喚する者たち」(Awakeners of the Dead)は呪われた。そしてその呪いは、今日に至るまでも国土に付きまとっている。しかし、包帯に巻かれて不朽となった死体から影を呼び出そうとするものが未だに若干存在する。が、彼らが呼び出すものはすべて、「暗黒の場所」(Place of Darkness)からの不吉な使者である。

ヨシラは、人々に対して、死去した親類の為の敬意に関する儀式を禁じなかった。というのも、「暁光の場所」(Place of Morning Light)では、そういった事はどのような死すべき定めたる人間の幸福においても最も関心のある力であるからである。ヨシラは人々の利益となる如何なる物事も決して禁じなかったし、無益または有害な事以外の何物をも取り上げることはなかった。当時、記録に書かれた儀式はなかったが、ヨシラは人々にそういった記録をもたらした。そういった事が「地上」における「この世を去った者たち」における生命を新たなものとするためにではなく、「地上」に残る者たちによって生贄とされたホキューのつながりによって、「肉体の主」(Lord of the Body)が、「暁光の場所」にて維持され強化されるためにである。

ヨシラは人々に話し、次のように記録された戒律を彼らに与えた。「次の事は、聖なる島の上に人間と獣を創造した「神々の神」の言葉である。如何なる獣もその種類以外のもう一方とつがってはならないものとする。そして、それが起こるのであるならば、両者共に殺されてその死体は燃やさなければならない。もしこれが人間の許可のもとに為されたのであるならば、その人間は呪われるであろう。如何なる獣もその種類とは異なるもう一匹と共にくびきをつけられてはならない。獣の出生後最初の一年の間は、如何なる獣も人間の荷役に従事してはならない。」

ヨシラが「カンブシス」(Kambusis)へやって来た時、彼はそこで「ヘスタブウィス」(Hestabwis)の男が縛られて生贄として準備されていたのを見つけた。そしてその男はその行いに対して強く抗議したが、誰も彼の言葉に耳を傾けなかった。そこで、離れたまま、ヨシラは力の杖をまっすぐ地面に突き刺し、その周りで踊り、霊を呼び出す歌を歌った。人々がこれを見ると、彼らはヨシラに対して激怒し、彼らの魔法使いに呼びかけて、ヨシラが「地上」から去るように彼を呪わせた。彼らの呪いは効果なく、一人の魔法使いがヨシラの踊りの輪へ近づいたとき、ヨシラは炎の舌を呼び出してその魔法使いを焼き滅ぼした。それで、その人々は怖がって逃げて行った。それで、ヨシラは犠牲の場所に縛られたその男を解放したが、彼はまだ完全ではなかった。ヨシラはまたそのヘスタブウィス人を自分たちの神々への生贄として捧げた者たちの全てを呪った。その日から後、ヘスタブウィスの如何なる人も祭壇前で殺されることがなくなった。

ヨシラはその場所の魔法使いたちを呪わなかった。代わりに、ヨシラは彼らを彼の下に呼び、自分の住処を離れて地上を彷徨い、人々の住居で人々を悩ます「暗黒の霊たち」(Dark Spirits)に対する支配権を与えた。かくして、その魔法使いたちはその人々の目に偉大なものとなり、その日から先、全ての「暗黒の霊たち」の地を浄化した。しかし、ヨシラは魔法使いたちに人が他者の奴隷となるように、如何なる人からもその「肉体の主」を呼び出すことを禁じ、ヨシラはこの戒律に従わないいかなる魔法使いに対しても強力な呪いをかけた。にもかかわらず、このようなことは今でも行われているが、ヨシラの戒律を犯す者たちは自分たちに起因する恐ろしい運命から逃れることは出来ない。というのも、ヨシラの力は彼の人々の土地では未だ有効であるからである。違反者たちが恐ろしい判決においてヨシラの前に立つと、彼らの行いは彼ら自身に反して立証するであろう。

ヨシラは、ワニの脂肪によってまたは角や皮によって人を裁くために、審判の時右手に座する者たちを禁止した。代わりに、彼は穀物を通じて、そして炎で熱した剣によって審判を行う方式を人々に示した。彼はまた人々に、人間の舌から束縛を解き放つ飲物を調合する方法を教え、「真実」(Truth)がもはや抑止されることがないようにした。

流水の土手に沿って木々の間に住む人々は、木猿におびえて生活していた。人々はこの木猿たちを神聖なるものとしていて、それらを決して害そうとはしなかった。彼らは、これらの木猿たちはこの世を去ろうとしている「肉体の主」をひっつかんで食べてしまい、強力な目に見えない網でそれを捕獲するために待ち潜んでいると信じていた。それでヨシラは動いて回り、木猿のための食物の蓄えに呪いをかけたので、木猿たちの腹にとって炎の如くなり、木猿の中の生命がそれらの口から泡として出てくるようにした。かくしてその土地は木猿の心配から解放され、そしてそれから後は、「この世を去った者たち」は平和に往生し、もはや木猿たちによって悩まされることはなくなった。


脚注

注1:"Twice Born"(二度生まれし者)は、秘儀によってその霊性を解放した者であり、生きながらにして霊的なものを見ることができる。秘義の内容は全く公開されていないので分からないが、その資格がない者が秘儀の試練を進んで行くと、命を落とすことになると言われている。秘義の中において一度死ぬから「二度生まれし」なわけだ。おそらく古代エジプトのエレウシスの密儀等で行われていたものがこれに該当するのではあるまいか。

注2:原文は、"sprouting of com"。これは、"sprouting of corn"(穀物の芽吹き)の誤植であろう。"com"なる英語は存在しない。(パソコンのシリアル通信ポートという意味はあるが、この本でそれはないであろう。)

注3:原文は、"bis wife"。明らかにこれは"his wife"の転記ミスであろう。

注4:"Tamerua"(タメルア)は前出の"Tamuera"(タムエラ)の誤植、あるいはその逆なのかもしれない。が、ここでは忠実に音訳してある。/p>

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