第十一章 ヨシラの教え

これらは「真の教義の子ら」(Sons of the True Doctrine)のための言葉であり、「暗黒の時代」(Days of Darkness)に、その時生きていた「神秘の信仰の無名なる君」(Unnamed Lord of the Secret Belief)によって、「ヤンケブの聖なる神秘」(Sacred Mysteries at Yankeb)の寺院において書かれた。肉体の中の霊に関する、ヨシラ(Yosira)の教えと秘密についての真実の知識であり、彼の書物より引用され、著述の慣習に基づいてまったく書き直されたものである。

ヨシラは息子たちにこの様に話した。「私は「神々の神」(God of the Gods)の副執政である。私は「力の書」(Books of Power)の管理人である。私は「天の声」(Voice of Heaven)である。私は光をもたらす者としてタメルア(Tamerua)へ遣わされた者の一人であり、全土じゅうにそこから決定を下すことを許された。あらゆる人間に、その行いややり方に注意を向けさせよ。自分自身に注意深い者はどんな者でも知恵の人である。というのも、その人は果てしない暗黒の恐怖から救い出されるであろうからである。」

「私は真実の椅子の輿の前にて松明を運ぶ者である。私は人間たちの偉大さを告げるために、人間たちに、貪り食う暗愚の破滅から請け戻さなければならない彼らの霊のその不死の自己を告げるためにやって来た。」

「「神々の神」は私に話して次のように言った。「貴方は長い間私の影の下に住み、私の言葉を聞いて来た。今や貴方は立ち上がり、ここから我々が話したこういった物事を不動のものとすることができる土地へ行きなさい。どこでも「私」が導く所へ。というのも、そこに住む者たちが無知な状態を続けるのは正しい事ではないからである。見よ、「私」は貴方に不死の秘密を授けた。が、全ての人間たちは不死の遺産へと生まれついているにも関わらず、すべての者がそれを享受している訳ではないことを知るがよい。「神々の神」は、その無限の慈愛において、多くの者を忘却の流れの中へと投げ込む。それにもかかわらず、そこからでさえ、人間たちは新たなものとなるために戻ってくることが出来、それは独りでにではなく、他者の懇願を通じてである。」

ヨシラがタメルア(Tamerua)へやって来た時、彼はホムトゥリー(Homtree)と呼ばれる場所の下にある石の上に彼の息子らを集めて次のように息子らに話した。「私は「暁を照らす者」(Dawnlighter)であり、「神々の神」の松明を運ぶものである。次のことは、乾いた砂が水を吸い上げるように、貴方がたが吸収する方が良い言葉である。それらの言葉は知恵の言葉であるとしても、自分自身を管理する者たちによって受け入れられなければ、役に立つことはない。それらの言葉は、他者に対する思いやりを感じることが出来ない者や、「真実」(Truth)に対して耳を閉ざす者に対しては価値が無いのである。」

「我が息子らよ、貴方がたは数少ない選ばれた者たちでり、我が光の光、世代を下って光を手渡していくであろう者たちである。貴方がたには、私は、真実の「神」の概念を与えよう。貴方がたに対して、私は次の規範を与え、我々に随行しようとする者たちの結集地点となることができるようにする。というのも、我々は、我々の「神」の目に好ましく映る土地の境に立っているからである。」

「我々と共に、戦士たちがいる。が、彼らは数少なく、他方、我々を追い払おうとして立ちはだかる者たちは多数である。それ故に、我々は戦闘隊形をとって彼らに立ち向かうのではなく、策略と共に彼らの間へ入って行き、我々と共に戦ってくれる者たちを多数集めよう。貴方がたはそういった戦士たちの光となろう。私が貴方がたの光 注1 であり、「神々の神」が我が光であるように。」

「私と共にある光は、「至高なる源」(The Supreme Source)、つまり「神々の神」にてともされたものである。それ故に、我が光 注2 は、貴方がたを盲とすることがないように、その一部がベールで覆われなければならない光輝をもって輝くのである。それは雲のベールを通じて太陽を見るようなものでさえあり、望むだけ長い時間に渡って見つめていることができる。この様に見れば、それは美や神秘のものごととなり、見つめる者の目を駄目にしたり焼き尽くしたりするものではない。」

「それ故に、私が貴方がたから光を覆うのと同時に、貴方がたの光を無知な者たちの目から隠すものとする。が、その光に関係しないすべての物事については、貴方がたは「真実」について十分に指導するものとする。彼らの肉体に関するすべての物事について、貴方がたは「真実」を彼らに指導するものとする。が、「肉体の主」(Lord of the Body)に関するすべての物事については、貴方がたは覆い隠された光と共に彼らを指導するものとする。」

「見よ、人間の性質を。人間の内部には、「神性の源」(Divine Source)からの火花があり、それが「肉体の主」である。それだけが永久不変のものであり、人間に関するその火花だけが人間の真の自己である。その火花は重い物質の外被の内側に包まれており、地上的な土の覆いに封じ込められている。その火花だけが生命の座であり、それだけが理解と思考を行うのである。そのようなものは土塊たる肉と共にあるのではなく、また骨の元となる石の類似物であるわけでもない。人間の内部の生命は、その封じ込められた火花から放射状に広がり、血液を通じて肉体には生命と熱が与えられている。生命は熱を発し、より偉大なる生命は、より多量の熱を発する。」

太陽が光を施し、炎が熱をまき散らし、そして花がその芳香を放つように、「中心なる光」(Central Light)は蒸気のような不可視の白熱光を発し、そしてそれを我々の父祖は「神の息」(Breath of God)と呼んだ。その「息」(Breath)は、二つの現れとして出てくる。すなわち、重い形質と軽い 注3 形質があり、そしてこれらからすべての物が合成された。その「一つなる者」(One)から「聖なる白熱光」(Sacred Glow)が二つの姿でやって来て、人間たちはそれを「神の息」と呼び、そしてそれから「天」(Heaven)と「地」(Earth)のすべての物が創られたのである。」

「上なるは「神々の神」であり、「彼」の下に「天」と「地」が存在する。「天」は二つに分割される。「光の場」(Place of Light)と「暗黒の場」(Place of Darkness)がある。「光の場」の中には、「善」の霊たちが住んでおり、そして「暗黒の場」の中には、悪の霊たちが住んでいる。それらの間で、それらの境界は固定されておらず、それらの変動する力関係に応じて行ったり来たり流動している。しかし、光 注4 の中に住む者たちが常に優勢となっている。というのも、光は常に暗黒を追い散らすからである。それ故に、暗黒の住人たちは、光の中に住む者たちの光輝の前に撤退する。こういった光や暗黒は人間たちが理解できるようなものではない。というのも、それらは地上(Earth)で知られる光や暗黒ではないからである。」

「「天の門」(Gates of Heaven)の前には、「地平の地」(Land of the Horizon)があり、そこから地上的な肉体から旅立ったすべての者たちが進んで行く。ここから、二つの大きな門があり、一つは「光の場」へ、もう一つは「暗黒の場」へと導き、そして「肉体の主」は、その似姿に基づいて、その指定された場所への入場を許可される。光に満ちていて、「光輝く者」(Brilliant One)である者は、「暗黒の場」へと行くことは出来ない。というのも、それは彼の前で後ずさりするからである。同様にまた、「暗黒なる者」(Dark One)である者もまた、「光の場」へと行くことは出来ない。というのも、そこでは、その者は、ジメジメしたその穴の中の暗闇からやって来た白い虫が太陽の光の下でしなびるが如く、光の前でしぼんでしまうからである。」

「天と地の間には、それを渡ると天の住人たちが戻ることができなくなる巨大な裂け目があるが、彼らは地上にまったく到達できないわけではない。人間たちは、「光の場」から、善として影響を受ける物事を受け取り、そして「暗黒の場」からは、悪として影響する物事を受け取っている。こういた物事は書き出すことが出来るが、そういった秘密の事は、暗愚な人間たちの知識となるような形で記録されてはならない。」

「天からやってくるものは、善や悪としてどちらで影響するにせよ、稀なケースであるが、人間たちの似姿の影としてやって来るか、またはより多くの場合においては、埃に似たルキム(lukim)としてやって来る。同様に、空気の波としてやってくることが出来るが、我々が呼吸し、感じとるような空気ではない。それはその性質において、何かすっかり異なったものである。安定していないものがやって来る。そしてそれらは形なき「もの」(One)である。すべての物は、無定形さを変える「神の息」によって形質を纏っているが、この形なきものは、その形質を不安定なものへと変えることができる。」

「三つの大いなる圏があり、地上を含むものは「神々の神」より流れ出ている「大いなる白熱光」(Great Glow)によってつなぎ合わせられている。光であり、生命を包含する「大いなる白熱光」の部分は、「マナ」(Manah)と呼ばれており、それに対し、重くて地上の物の肉を包含するものは、「マニュ」(Manyu)と呼ばれてる。

「「神々の神」なる「者」は、あまりにも偉大過ぎるので、人間の言葉で明確にすることが出来ない。また、「神」を人間の思考で認識することもできない。というのも、「神」はその時の理解を超越しているからである。死すべき定めたる人間には限界があり、それ故に、人間たちが認識しようとするように認識させておけば良い。人間たちの概念が「神」の目的と人間が神の栄光を受けることの両者の役に立つのであるならば、それは重要なことではないのである。」

「人間はまだ偉大ではなく、そして人間がそうなるまでは、人間自身を向上させる傾向があるようであるならば、人間の思考の中で認識された数多くの「神」の形式 注5 を人間が崇拝することは良い事である。また、それらが真実を厚く覆い隠して視界から埋没してしまうことがないのであるならば、儀式や崇拝を行うことがそれ自体で害することがない場合も同様である。儀式や崇拝の外部形式は、思考の浄化の助けとなり、「肉体の主」のための一種の滋養を提供する。思想を抱いている仲間や指導者ではない覚醒していない人間たちによって愛される「低級な神々」(Lesser Gods)についてはいかほどか?それは人間たちが辿る更に危険な道であり、光と暗黒の間で釣り合う。それ故に、人間が暗黒の深淵へ向かって踏み迷っているのであるならば、ちょっと多くの光を示して、その人間が悟ることが出来、道を戻って来ることが出来るようにせよ。それでも、その人間が、誤った教示をし、肉欲の流砂や無知の荒野へとおびき寄せる神々に従うことがないように、用心をせよ。」

タムエラ(Tamuera) 注6 へと渡る前に、ヨシラは戦士たちの上に立つ頭領を選定し、彼らはその土地を斥候するために人を遣わした。彼はまたその息子たちの間から数名をテウォー(Tewar)の地へと遣わし、そこの人々と話しをさせ、その遣わされた息子たちはテウォーの地の統治者から人質を持ち帰って来た。そこでヨシラがその統治者の息子らと話をし、彼らはヨシラの言葉に耳を傾けたので、彼らはヨシラの言葉を受け入れた。

ヨシラは人々に話した。「次のことは「神々の神」の言葉である。今後は、如何なる子供も、その父または保護者がその子供を奴隷として売り渡してはならないものとする。そのようなことは、まだこの地のすべての人々の慣習とはなっていないが、人々が強大となれば、彼らはそのようなことを行うであろう。というのも、人間たちの性質とはそのようなものであるからである。」

「もし一人の男が一人の女を奴隷として所有するならば、その男はその女を男たちに対する売春婦とさせてはならないものとする。というのも、それは大いなる邪悪であり、その男は罰せられないことはないものとする。もしその女がその主人のために子持ちとなるのであるならば、その女もその子も他の者へ奴隷として与えられてはならないものとする。しかし、もしその女が結婚のために自由人へと与えられるのであるならば、それはよろしいであろう。」

「「神々の神」の目に 注7 もっとも大きく映る邪悪は、あらゆる第一級の近親相姦であり、これには母と息子もしくは父と娘、または母の母と母の息子もしくは母の父と母の娘、または父の父と父の娘もしくは父の母と父の息子との間によるものを含む。これは「神々の神」に対する邪悪である。というのも、それは「形なきもの」(Formless One)のうちの最も強力な物を呼び起こすのであり、それは地上的な肉体へと入り込んで「神」と人間の眼前に忌み嫌われるものとなるからである。それ故に、そのような行いを犯す者たちは、炎によって死ぬものとする。もしそのような行いが子供とともに為されるのであるならば、その子供は死なないが、近親相姦の印で焼き印を押されるものとする。」

「姦淫は貴方がたが忌み嫌う、汚らわしくかつ邪悪なことである。というのも、姦淫はルキムに生命の源泉を汚染させてしまうからである。遠く離れた国に、「暁の花」(Dawnflower)よりも美しい女王が住んでいた。彼女は権力者だったので、先祖伝来のものである女性らしさを等閑視していた。勢力のある王が多数の妻を抱えるように、彼女は男たちについて同様な事をしてもよいと考えた。「神々の神」たる「生命の創造者」(Creator of Life)は、男と女のそれぞれが異なった役割を果たすことを意図して男と女を創造した。男と女は決して似たものではなく、男には男の役目があるように、女には女の役目がある。一方に合う事は、もう一方には合うことはない。そして、「創造者」(Creator)は男と女をあるがままに創ったので、それぞれが自身の道を辿らねばならず、もう一方の道に沿って旅をすることを望んではならない。さて、一人の男の種がまだその女王の中にある間、彼女は他の種を取り込み、そして一人の男の種は他の男の種と奮闘し、両者が滅びて腐敗した牧場となった。かくして、ルキムが生命の小室へと入る道が開けて、生命の聖なる社は汚染され、汚物の孕み場となったのである。同じように、他の男たちが女王に近づいて、彼らの体の肉はルキムにより捕らえられて損なわれた。というのも、汚れたルキムがその女の中にその住処をこさえたからである。それで、その生命の源泉は汚染された害悪の泉となったのである。姦淫は生命の「最善の所有者」(Bestowner)に対する忌まわしきことであり、それ故にそれが罰せられないことがないようにせよ。」

「如何なる者も、他人の霊気の魔力が最初に取り除かれない限り、その他人のベッドで寝てはならないものとする。というのも、他人の霊気の魔力の下にあるにもかかわらず、どんな場所へでも立ち入ったり何かの物を手に入れる者は、確実にその影響を被るからである。一つ屋根の下で生活する同じ親族である者たちは、病気が既にそこにあるのではない限り、その影響を被ることはない。」

「如何なる者も、他人の霊気の魔力が取り除かれない限り、その他人の皿から物を食べたり、他人の飲物入れの容器から飲んだりしてはならないものとする。「神々の神」を知る者の内の如何なる者も、異邦の神々への献酒として注ぎだされた如何なる物へも立ち入ってはならないものとし、またその「献酒」(Libation)の如何なる一部分にも触れてはならないものとする。もしそれが人の方へやってくるのであるならば、その人は直ちに「神秘の主」(Master of Mysteries)まで行き、洗い清められなければならないものとする。」

ヨシラは人々へ言った。「次の事は「神々の神」の言葉である。貴方がたの内如何なる者も、他人によって使われ、人間の手によって作られた如何なる物でもその中に入っている水の中で自分の体を洗ってはならないものとする。「神」を知る者のうち如何なる者も、運命の日々が彼女の上にある間は、女性に触れてはならないものとする。如何なる男性も洗っていない手で女性のもとに行ってはならず、そして男性と女性が共に寝た時には、両者共に自分の仕事に取り掛かる前に自分自身を清めなければならないものとする。」

「ルキムの内で、人間の食物のうちに栄養を求めるナブレ(nableh)以上に油断のならないものはない。それ故に、貴方がたの住処のうちにパンがあるならば、それを吊るして置いてはならないものとする。しかし、肉や魚があるのであるならば、それらは住居のうちに吊るしておいてよいものとする。もし貴方がたの住処に計量したぬかや食事があるならば、ナウラタ(nowrata)の花で蓋をした容器の中に保存するものとする。かくして、そのルキムはその中へ降りかかろうとしなくなる。粉砕した穀物やどんな食べ物の屑であっても、ナブレが栄養分として捕らえるといけないから、人の視野の中や住居の境界の内側に残したりしてはならないものとする。生活を支える、食物として用いられないすべての物は、地中に埋めてもよいものとする。食物を保存してきたすべての容器で、もはや食物を入れていない物は、日光と砂で洗浄するものとする。」

「獣や魚や家禽の肉はどれでも、貴方がたの管理中に色が暗くなり、あるいはそれから腐敗臭がするようになった時には、それはナブレがそれらの肉に入り込んだ印であるので、それらの肉は取り出して、どんな獣もやってくることができない場所へ埋めるものとする。かくして、ナブレは栄養の無い状態で放置され、それらの暗い住処へと帰ることを強制されるのである。しかし、もし貴方がたがナブレに栄養を与えることを黙認するのであるならば、ナブレは大群で押し寄せて来て、太って強くなり、夜警の間数々の恐ろしい事をもって貴方がたを苦しめるであろう。」

「もしどんな水差しや瓶でも、その注ぐ場所や注ぎ口に黒ずみを持つのであるならば、その水差しや瓶は破壊するものとする。というのも、それは激しいルキムに入られたからである。もし、「神」を知る何者かが異邦人と共に食事をするならば、その人は翌日、日が昇る時に自分自身を清めるものとする。もし貴方がたのうちの誰かが水や砂を使って洗い清めていない手で食事をするのであるならば、夜にルキムによる襲撃をうけることを心得よ。どんな獣でも、その血を抜き取る者は、暗黒のルキムに襲われるといけないので、その血をすべて洗い落とさなければならない。如何なる種類の食物や飲料も、夜のルキムがやって来てそこにそれらの住処を占めるといけないので、ベッドの下に、あるいは就寝場所に持たれかけて保存しないものとする。」これらはヨシラの口を通じて話された「神々の神」の言葉である。

ヨシラは次のようにも言った。「ルキムに栄養を補給するであろう全ての物は、埋められるか、焼却されることになっている。どんな男や女の鼻腔や口から出てくる如何なる物も、内部から無用とされたものであり、ルキムのための栄養となる。更に、地面に溜まっている水はルキムの飲み場となり、人間たちには禁じられている。水は、地中から引き揚げられたり、木々の影となっている場所にあるものでない限り、飲用として用いてはならないものとする。」

「健康に良いと知られていて、腹に満足をもたらす食物のみを食べよ。味については、和かでありさわやかなものとし、痛みや不快さをもたらすものであってはならない。乾燥しすぎたものや塩漬けしすぎた物、また貴方がたに吐き気をもたらす物は如何なる物でも食べてはならない。人が食べて、腐敗したりカビだらけとなったいかなる食物も、ルキムによってその栄養として差し押さえされている。この事を貴方がたは理解することができよう。というのも、腐敗と生えたカビはルキムの排泄物であるからである。」

「その中に血を有して死んでいる如何なる物も、独りでに死んだ物は、食べないものとする。というのも、ルキムがその住処をその中に作ったからである。如何なる人間も未調理の肉を食べないものとする。砂漠の旅人が携えてきたものについてさえ、食べないものとする。」

「如何なる男または女であっても、殺すことは禁じられている。が、戦争や自衛のために殺すこと、または世帯や家の純潔を管理するために殺すことは非合法ではない。人を騙して殺すことや背後から一撃をくらわすことは殺人であり、罰せられないことがないものとする。もし血が流れたならば、その血は虚しく地面から呼びかけることがないものとし、殺された者それぞれの親族の者に対して復讐の機会が与えられるものとする。」

「もし貴方が、もう一方の人間を騙すために、お互いに誓いを立てて、「「偉大なる神」(Great God)が証人となる」と言うか、またはどのようなものであれ異邦の神の前で言うのであるならば、よく考えるがよい。というのも、最も向こう見ずな者だけがそのような誓いに対して背を向けるのであるから。「肉体の主」の生命に対して誓うのであるから、もしそれが破られるのであるならば、貴方の「肉体の主」は永遠に取り除くことの出来ない傷で醜くなるであろう。人にはその人生において打ち勝つべき数多くの試練があり、そのうちで最も小さなものではない試練が誓いを守ることである。誓いが消えていき、人間の記憶に従って経過する年月と共になんでもないものになっていくかもしれないが、それは「肉体の主」の上に永遠に刻印されるのである。絶対に誓いを立てない者は、はるかに賢いのである。」

「もし誰かが、「つむじ風や砂嵐、洪水の水、そして燃え盛る炎、これらのものは見えるから、私は恐れる。しかし、私には見えないルキムについては、私は恐れない。」と言うならば、その人間は愚かである。というのも、その人間は自分自身の目の機能的欠如について知らないからだ。ルキムについては、人間はその顕現によって知るようになる。というのも、ルキムは人間の肉体を捕捉して苦しめ、時には死にさえ至るであろうから。ルキムは「神々の神」の類似物である。誰も「神」を見ることは出来ないが、「神」の顕現によって、「神」は人間に知られるようになるのである。」

ヨシラは戦士たちの頭領たち、および共にいる者たちへと話しかけて言った。「我々がこの新しい土地に入る時、そこに住む人々が聖なるものと心に抱くすべてのものについて、貴方がたはその神聖を汚したり嘲ったりしてはならない。また、如何なる人との争いも扇動してはならない。というのも、我々はそこの人々の下に敵としてではなく、友として行くからである。」それ故に、ヨシラと随行するすべての者たちがテウォーの土地に来てそこに住んだ時、その土地には平和であった。

その後、ヨシラはテウォーの人々に布地の織り方と金属加工について教え、彼らに不可思議なやり方で鋳造した金属製の道具や武器の作り方を見せた。が、鋭い刃の武器の秘密については、彼自身の人々に対してのみ明らかにした。

テウォーの人々は、ヨシラのための住居を建築し、葦で縛った煉瓦の寺院を建立した。壁と床は獣皮で覆われており、扉は木製であった。それから、ヨシラは息子たちに次のように話しかけた。「次のことはこの場所の人々に教えられるべき事である。鳩は最も神聖なる鳥であり、食べてはならない。が、もし人々が「我々の神々に対する生贄用として、我々に禁じないでくれ。」と言うならば、彼らには禁じられることがないものとする。」

「角がなく、蹄が割れていない全ての獣の乳は、人間の食用ではない。が、もし人々が「それは我々の慣習だから、禁じてくれるな。」と言うのであるならば、彼らにはそれは禁じられないものとする。」

「死者の埋葬時における乳飲み子の生贄は禁じられるものとする。というのも、若い者の血は、年老いた者のための生命を与えることが出来ず、各人が自身の運命を形作るからである。生命を持つ者は、それを自身の中に帯びるものとし、如何なる者も、生命を与えた「神」以外は、乳飲み子の肉体や生命を所有することはできない。生きている乳飲み子を死者とともに埋葬する者は、その者自身が死ぬものとする。」

「死去した者と共に埋葬されるすべての物は、それが武器や皿であれ、楽器や装飾品であれ、地中に配置される前に、外された状態とされなければならない。」

「次のことは、それが金であれ、銀や銅であれ、金属を加工するすべての者に対する規律とする。七日の内の一日は、金属が加工される炎のための休日とするものとする。その日には、如何なる炎も点じてはならず、いかなる金属にも触れたりその場所から移動したりしてはならない。この休日の一回置きに、最後の休日から作られた金属のすべての加工物は、聖別したオイルの槽へと漬け、指定された時までそこに留めておくものとする。如何なる金属も、その聖別するオイルを通すまでは、職人の作業所から出てはならないものとする。」


脚注

注1:原文は、"even as I am your hght and ..."。"hght"は筆写に伴う誤植で、文脈から明らかに"light"(光)であろう。

注2:こちらも、"hght"ではなく"light"(光)であろう。

注3:原文は、"a heavy form and a hght form"。"hght"はここでも再び、"light"(軽い)であろう。この章にはこの誤植が多いね。

注4:ここも"hght"ではなく、"light"(光)だね。

注5:原文は、"Godf orms"。これは、"God forms"の間違いであろう。

注6:原文通り地名と思しき"Tamuera"(タムエラ)を音訳したが、これは本当は既出の"Tamerua"(タメルア)ではあるまいか。この章を書き写した人は誤植が多いようなので。

注7:原文は、"m the eyes of God of Gods"。"m"は"in"を誤って転記したものであろう。

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