第五章 始まりにて

さて、「アウェン」(Awen)と呼ばれる「神の子ら」が「神の手」によって形作られ、彼らの望みに従って出現した。というのも、生命のあるすべてのものが、アウェンによって形作られたからである。狐は、冷たい土地で震えているが、暖かさを渇望したので、その幼獣はより暖かい外被を有した。フクロウは、暗闇の中で不器用であるが、その餌動物をよりはっきりと見たいと望み、幾世代にもわたって切望し続けた結果、その望みは聞き届けられた。アウェンはすべてのものをあるがままに整えた。というのもすべてのものは法に基づいて変化するからである。

人間もまた、その望みによって形作られているのだが、鳥獣とは違って、その切望は運命と宿命の法則や種まきと刈り取りの法則 注1 によって制限されている。これらのもの、法則によって変更された願望は、「エニドゥバデュ」(Enidvadew)と呼ばれる。これは、鳥獣とは違って、人間においては、それによってその子孫が影響を受けないわけではないにしろ、その子孫よりもむしろ本人に関係する何かとなっている。

宿命というものは、その目的地がその人のさだめである旅をすることを望むのか望まぬのかどうかに関わらず、遠い町へ旅をしなければならない人に例えられるといっても差支えない。彼は、川または平原を経由して、山を横切ってまたは森を通って、徒歩によってまたは馬に乗って、ゆっくりとまたは急いで行くかどうかを選ぶことができるし、その意思決定のためにいかなることが降りかかろうとも、それは運命である。もし森の経路を選んだがために木が彼に倒れてきたら、それは運命づけられているのである。というのも、運というものは運命の要素であるからだ。宿命には選択の余地がなく、運命には良くも悪くも限られた選択肢が与えられるのであり、それを避けることはできない。運命づけられたことは存在しなければならない。というのも、後戻りできる時点はどこにもないからである。

旅人の状況「エニドゥバデュ」は、種まきと刈り取りの法則に従う。彼は快適にまたは苦痛のうちに、幸福のうちにまたは悲嘆にくれて、力がみなぎってまたは衰弱した様子で、ひどくまたはすこしばかり悩まされて、用意周到にまたは準備不足で旅をするかもしれない。前世の程度に従って目的地が設定される時、旅の状況がその望みと一致しなければならない。種まきと刈り取りの法則が耐え難い重荷を道中運ばなければならないよう規定する時に、大いなる目的地を望むことが何の役に立つというのか?より控えめな抱負を持つ方がずっと良い。運命の規定は多岐にわたるが、宿命の規定は数少ない。

地球が若く、人類が子供のようであった時、陸地には今やすべて砂と不毛な荒れ地となっている所に肥沃な緑の牧草地があった。その真ん中には、東の方日の出に向かって陸地の端に接して位置する果樹園があり、「メルア」(Meruah)と呼ばれ、それは「平原の果樹園の場所」を意味していた。メルアは立ち上がりの部分が裂けている山の麓に位置し、その裂け目からは平原を潤す「タルダナ」(Tardana)という川が流れていた。山からは、反対側に、「カル」(Kal)川が流れ、「カレダン」(Kaledan)の土地を通って平原を潤していた。「ナラ」(Nara)川が西方に流れており、その後引き返して果樹園の辺りを流れていた。

そこは肥沃な場所であった。というのも、その土地からあらゆる種類の食用の木や、見た目を楽しませる木が生えていた。あらゆる食用の草やあらゆる花咲く草がそこにはあった。「生命の木」は、「グラシア」(Glasir)と呼ばれていたが、金と銅の葉を茂らせ、「聖なる囲い」の中にあった。そこにもまた、「偉大なる知恵の木」があり、偽りから真実を区別するための選択力択と能力を授ける知恵の実がなっていた。人が本を読むように読まれることができるのは同じ木である。同様に「過ちの木」がそこにあって「歓喜のハス」がその下に生えており、「聖なる囲い」の中央には「神」が「彼」の存在を知らしめる場所である「力の場」が存在した。

時が過ぎ、「神の子ら」は、「神」の加減した金槌のもとに成長して強くまっすぐになり、地球は、「神の鉄床」であるが、より温和になった。すべてが快適であり、食物は豊富であったが、人生はそのような場所では食傷気味となる。というのも、このような環境で繁栄することは、人間の性質に反することであるからである。この世は楽しい戯れのためにあるのではなく、そこは教示、試練、そして試みの場所なのである。

「神の子ら」はまだ「神」の継承者ではなく、神性の相続人でもなかったが、彼らの中の一人に「エニドゥバデュの巡礼の旅」をほぼ完了した者があった。彼はもつれた運命のかせを解明し、荒れ狂う人生の海を通り抜け数多くの運命の港へ到達し、種まきと刈り取りの負債を支払い切ったことはエニドゥバデュに関する一つの成功であった。

彼は「ファンヴァー」(Fanvar)と言い、「アウマ」(Auma)と「アテム」(Atem)の息子である。彼は賢く、すべてのものごとを知っており、神秘と他の人々の目からは隠されている秘密のものごとを見た。彼は日の出と日の入りをその壮麗さのうちに見たが、彼が住む場所では実現しないものごとを渇望した。それで、彼は「神」と共に歩んだので、彼は彼の一族から選別され、メルアへ連れて行かれた。

彼は山を越え荒野を横切りメルアへやって来て、数多くの日を費やした旅の後到着した。窮乏を辛抱したために疲れ果てて死にそうであったが、彼は元気づける水場までようやく辿り着きそこでたくさん水を飲み、くったくたに疲れ切って眠りに落ち入った。その眠りの中で彼は夢を見、その夢はこのような様子であった。彼は目の前に名状しがたい栄光と威厳に満ちた存在を見た。その存在は言った、「私はすべての上なる「神」であり、あなたの人々の「神」の更に上なるものである。「私」は人々の大志にかなうものであり、人々がその中で満たされるところのものである。あなたは、すべての「エニドゥバデュの領域」を行き来しあなたの価値を確立したが、今やこの世における私の統治者に任命され、そしてあなたはここですべてのものを支配することになっており、人々を私の流儀で導き、人々を常に上に向かわせ栄光へと導きなさい。これがあなたの仕事であり、そして、見よ、ここにあなたの褒美がある。」

雲のような霧が「栄光なる存在」の周囲に集まるように思われ、「彼」を包み込んだので、「彼」はもはや見えなかった。それから、その霧は徐々に晴れて、その男はもう一つの形が現れるのを見た。それは一人の女性のかたちだったが、ファンヴァーが以前に見たこともないよなものであり、彼の美の概念を超越した美しさであり、形と上品さにおいて彼が口もきけなくなる程唖然とするそんな完璧さを伴っていた。けれども、その幻影には実体がなく、彼女は生霊であり、この世のものではない存在であった。

その男は目を覚まし、彼の周りにあるフルーツから食物を求め、元気を回復するとメルアを歩きまわった。彼が動く時は常に(女性の姿をした)生霊を見かけたのだが、彼女は励ますように微笑みかけて彼の心に慰めをもたらしたので、恐れることはなかった。彼は自分で隠れ家を建て、再び強くなったが、終始、彼が動くときはいつでも、その生霊は遠く離れていることはなかった。

ある日、メルアの縁の近くで、昼の真っ盛りに眠りに落ち入って目を覚ますと、「ボサスの息子ら」(Suns of Bothas)、本当の人間ではなく「ヨスリング」(Yosling)というに森の獣の近縁種によって取り囲まれているのに気付いた。彼らがファンヴァーの力と知恵を取り上げてしまうことが起こり得る前に、彼らのうちに彼自身を解き放ち、激烈のうちに何匹かを殺し、残存者の眼前の力ある者は逃げていった。事が終わると彼は大きな木の下に座り込んだ。というのも、彼は傷を負っており、彼の脇から血が流れ出ていて彼のそばにびっしりと溜まっていたからである。彼は気が遠くなり、深い眠りに落ち入ったのだが、彼が眠っている間、驚くべきことが起こった。(女性の姿をした)生霊がやってきて彼の傍に横たわり、彼の傷から彼女の上へ血液を受け入れると、それは彼女の周りで凝固した。かくして、その「霊的存在」は肉をまとい、凝固した血から生まれ、彼の脇腹から離れて、彼女は死すべき定めたる女性として立ち上がったのである。

彼女の外観のため、ファンヴァーは内心穏やかではなかったのだが、彼女はやさしく、気遣いをもって彼の世話をし、そして治療方法に熟練しており、彼の傷を完治した。それ故に、彼が再び力を取り戻すと、彼は彼女を「ガーデンランドの女王」注2 とし、彼女を「グラ」(Gulah)と命名した我々の父たちによってさえそのように呼ばれたのだが、ファンヴァーは彼女を内助者を意味する「アルア」(Aruah)と呼んだ。我々の言葉では、彼女は「レインヴィッドの女性」(Lady of Lanevid)と呼ばれている。

さて、「神」はその女性についてファンヴァーに教えた。「この女性は、男のあこがれの強い願望を通して、美の領域内における彼女と親和性のある住処から招いたのだ。彼女の登場は、別の方法では無数の世代を経るであろう大きなことを成就することになる。というのも、地球は女性が女性的な事を学ぶよりも、男性が男性的な事を学ぶのに適しているからである。この女性は他の女性のようなものではないし、いかなる点でも貴方とは似通わない。彼女の頭のあらゆる髪の毛は男のようではないし、彼女の思考と願望は異なっている。彼女は粗雑ではないし無骨でもなく、全く他の優美な世界に属している。彼女の娘たちは堂々と歩き、あらゆる女性的完璧さと優雅さを授かる。つつましさ、しとやかさ、そして魅力は、娘たちの女らしさを高める愛らしい宝石となるであろう。今後、男はまったく男であり、女はまったく女であり、男は男らしさをまとい、そして女は女らしさを身に着けるであろう。にもかかわらず、彼らは手を取り合って、彼らの前にある上昇的な栄光へ向かって、互いが協力者であり互いを刺激するものとして、共に歩まなければならない。」それでファンヴァーとアルアは実り豊かさと恵み深さの只中で、苦痛や病気も存在せず、満足感のうちに生活した。彼らはお互いを楽しませ、またその差異故に、共に次第に近づいた。

アルアは、もやの立ちこめた境界を越えてくるときに、彼女と共にただ一つのもの、「レインヴィッド」の宝、男たちの願望によって形作られた霊感の石である、月の盃に含まれる宝石を持ってきた。アルアの娘たち以外、何者にも所有されることはなく、これ、「レンジル」(Lengil)をアルアはファンヴァーへ彼女の結婚持参金、彼女の純潔の誓い、そして独占の証として与えた。彼女は、この世界のやり方ではなく、自分のいた世界のやり方に従った。

ガーデンランド内には、ファンヴァーとアルアの統治領域である「聖なる囲い」があり、この場所へ来た「神の子ら」の人々は今や出入り禁止となっていた。それは「成就の盃」(Chalice of Fulfilment)、その盃で飲むものは誰でもその熱望するすべてのことを実現することをかなえる盃を収容していた。如何なる者もこの盃からのんではならないということは、ファンヴァーとアルアの名誉を保つことになる。同様に、ガーデンランドで育ったフルーツから抽出したエキスを入れてある「不死の大釜」(Cauldron of Immortality) があり、これは死へ至る病から守るものであった。

アルアは、ファンヴァーの息子と娘を産み、その息子は「ロートキ」(Rautoki)と呼ばれ、娘は「アルメナ」(Armena)と呼ばれた。おのおの魔法の神秘と星の道を知っていた。時満ちて、ロートキは「神の息子ら」の娘のうちに結婚し、「エナナリ」(Enanari)と「ネンドゥカ」(Nenduka)という二人の息子をもうけた。植物を原料として服を織る方法を初めて教えたのはエナナリであった。ネンドゥカは力強いハンターであった。アルメナもまた「神の息子ら」のうちに結婚し、「ベレンキ」(Belenki)と呼ばれる息子と「アナヌア」(Ananua)そして「マメンタ」(Mament)と呼ばれる娘たちを産んだ。アナヌアは土のことと壺を作ることを知っており、マメンタは鳥獣を飼い馴らす方法を知っていた。

ネンドゥカには、「ナムタラ」(Namtara)と「カイナン」(Kainan)という二人の息子がいた。ナムタラにも、十分に成長する過程で死ぬ前に二人の息子がおり、「ネンドゥカ」(Nenduka)と「ダダム」(Dadam)と言った。ベレンキは「エニドゥバ」(Enidva)と結婚し、「エンキドゥア」(Enkidua)と呼ばれる息子と「暁の乙女」(Maid of the Morning)を意味する「エスターサ」(Estartha)と呼ばれる娘をもうけ、彼女は「神の子ら」のうちで偉大なる教師となった。最初の「月の乙女」(Moonmaiden)に最初になったのはエスターサであり、後に「明けの明星の淑女」(Lady of the Morning Star)と呼ばれるようになった。エンキドゥアには娘がおり、その名は「ミーヴァ」(Maeva)であった。

「ギザー」(Gisar)として知られる「聖なる囲い」の外側には、そこへの通り道を除いて、「ギルガル」(Gilgal)と呼ばれる石でできた円形構築物があり、その内側には「グウィンドゥイヴァ」(Gwinduiva)と呼ばれる聖なる器が保持されている聖堂があった。これはゴブレットのようなものであり、虹色の色彩の水晶が真珠とともに黄金に埋め込まれたものでできていた。その聖杯の上には、月光色のもやが細く冷たい炎のようにゆらめく姿が現れていた。決まった時に、「天」が正しい位置にあったときに、「グウィンドゥイヴァ」は月の露と「聖なる囲い」の中の大釜から取り出した霊薬とで満たされ、淡い蜂蜜色の液体となり、これを人々はそのゴブレットから飲んだ。しかし、ファンヴァーとアルアの血族と「神の子ら」ではあるが彼らの血族でない者とでは、その容器より異なった割合を分けとった。不健康や病気を飲んだ人に近づけないようにするのが、「グウィンドゥイヴァ」の霊薬であった。

最初の父、ダダムは、「リーサ」(Leitha)と結婚し、「ハーシュー」(Herthew)と呼ばれる息子をもうけた。ダダムはその次に、彼によるものではない娘をもうけていたミーヴァ(Maeva)と結婚したが、その娘の名は「グウィネヴァ」(Gwineva)と言い、我々が「暗黒の父ルウィド」(Lewid the Darkfather)と呼ぶ「ナムテニガル」(Namtenigal)の息子である「グウォーソンのアブリメニド」(Abrimenid of Gwarthon)によって育てられた私生児 注3 であった。

「神の子ら」の土地の周りには、「死を承継する者ども」(They Who Inherit Death)を意味する「ズマットの子ら」(Children of Zumat)と呼ばれるヨスリング(Yoslings)が住む荒野であった。これらの者のうち、手練手管のハンターである「ナムテニガル」(Namtenigal)がもっとも賢く巧妙な者であった。彼のみが「神の子ら」を恐れず、彼のみが大胆にもガーデンランドに侵入した。

エスターサが教えている時に、ナムテニガルはしばしば彼女の言葉を聞きにやってきたのだが、「神の子ら」の気に障ることはなかった。というのも、彼らの周りの野蛮人に教えることは彼らに果された勤めであったからである。

ナムテニガルは、それ故に、彼らの儀式に参加したが、禁じられていた故に、グウィンドゥイヴァのエリクサーを飲むことができなかった。それが「神の子ら」に健康と力を与え、彼らをヨスリングの病気から守った一方、もし他の者に与えるならば、それは浪費をもたらした。また、いかなる「神の子ら」もヨスリングと交雑することは完全に禁じられていた。というのも、これは最も容赦できない罪であるとみなされていたからである。

さて、この策略に富む者はエスターサから多くを学び、時満ちて彼自身の息子を彼女の元へ連れてきて、その息子は彼女の息子のようになった。彼女の家に住み、ヨスリングのやり方を捨て去った。エスターサは彼を「光をもたらす者ルウィド」(Lewid the Lightbringer)と呼んだ。というのも、彼が光を受けて歩く者たちのやり方を教わって、いつかは彼自身の種族を教化するかもしれないというのが彼女の意図であった。

ルウィドは成長し背が高くなりりっぱになった。彼は学ぶのが速く、賢くなった。彼は更に、狩りをするものとなり、たくましくて辛抱強い名高い狩人となった。しかし、彼の種族の呼び声が強くなることがしばしばあり、そうすると彼はひそかに夜に外出してはヨスリングの暗黒の儀式に耽った。かくして、彼は肉欲の満たし方や体の肉体的な放縦に精通するようになったのである。

ダダムは、領域間のもやのベールを貫くことができる「聖なる囲い」の使用人となった。というのも、アルアの血を引く者はすべて霊視能力 注4 、すなわち生霊や霊的存在 注5 といった「異世界」のものごとを、はっきりとではなくベールを通したように見れる能力を持つからである。

ギザーと呼ばれる場所の傍には、あらゆる種類の木と小川、更に花咲く低木の茂みやあらゆる種類の青々と生育する植物のある快適な公園用地があった。そこのひなたを歩き回ることがミーヴァの習慣であり、ルウィドも同じようにそこへ行った。それで、彼らは木々の間で出会うことがあった。ミーヴァは彼を知っており、かつて彼を避けていたのだが、今では彼がりっぱになっているを見て、多くの魅力に取りつかれたので、彼女は足を止め、逃げることはなかった。

日々が過ぎ去り、彼らは一緒により長くふざけ合い、ルウィドはミーヴァがかつて聞いたこともない話をした。彼女は血が騒ぐのを感じたが、禁じられたことであったので、彼の誘惑に応じたり心に留めたりすることはなかった。それで、ルウィドはヨスリングの賢い女性である「月の母」(Moonmother)のところへ行き、彼の願望を伝えることによって、彼女に彼を手伝うよう懇願した。「月の母」は、その茎を通して引き寄せる下劣な物質を含むリンゴを二つ彼に与えた。これをルウィドはミーヴァへ与えると、彼女は彼の手に無力となった。

彼らはこの後再び会った。というのも、ミーヴァはルウィドに魅了されたからだ。しかし、彼女は不思議な病気で病の床につき、心配した。その後、ダダムとルウィドも同様に病気になり、ルウィドは女に言った。「あなたは「聖なる囲い」の中から純粋なエキスを得なければならない。そして、セティナ、「月の母」は我々を治すエリクサーを用意してくれるだろう。」彼がこのように言ったのは、彼の種族の如何なる者も、拒絶されてきたものをいつも欲してきたにも拘らず、「聖なる物質」を得ることができたことがないからだ。今や、彼女のもろさによって、その女は彼の手の内で従順であり、ルウィドはその機会を掴んだのである。

彼の目的を成就するために、ルウィドは「月の母」によって準備された薬をミーヴァに与え、彼女は狡猾さと欺瞞をもってしてこれをダダムと彼と共にいる者たちへ投与した。すると、彼らは眠りに落ち入った。彼らが眠っている間に、ミーヴァは「聖なる物質」から盗み出し、それをルウィドへ持って行き、彼はそれを「月の母」へ渡し、彼女は飲物を作った。

その一部はミーヴァへ与えられ、残りはヨスリング達によって、彼らの夜の儀式の間の恐ろしいアンキタル 注6 から飲まれた。朝が来ると、彼らは皆ひどい苦痛に打ちのめされ、その日の日没前には、すべてのヨスリング達はいままで経験したこともないような病気に悩まされた。

ミーヴァは彼女に与えられた分を持ち、ダダムが彼のベッドの中でうずくまっているのを見つけると、彼女は彼に飲ませるためには女性的策略を使わなければならなかったのだけれども、彼女の容器から一飲みを彼に与えた。彼女は残りを飲み、二人とも眠りに落ちた。

が、彼らが朝起きたとき、二人とも痛みをこうむり、それは今まで経験したこともないひどいものであった。ダダムはその女に言った。「あなたは何をしたのか?というのも、我々に起こったことは、禁じられたことがなされたのでなければ、ありえないことだ。」その女は答えた。「ご主人様、私はそそのかされて落ち、禁じられ許されざることをやってしまったのです。」

ダダム言った。「私はあることを成すための任務のために束縛を受けている。が、最初に我々はギザーの中の「ベスケルクリス」(Bethkelcris)と呼ばれる場所へ赴き、そこで私は教化を求めることにしよう。」それで彼らはそこへ共に赴き、「知恵の木」(Tree of Widsom)の下の聖堂の前に立った。そこでは、彼らは流れ入ってくる幻覚に満たされ、彼ら自身をありのままに、またどうすべきであったのかを見、そして彼らは恥じた。彼は自分が男として正しい道を辿らなかったために。彼女はその偽りゆえに。そこにおいて、映し出すもやの中、その女の汚穢が示され、またその男の心が、炎になめられる花のように彼の中でしなびているのが示された。

そして、彼らは、映し出すもやの中に偉大なる「霊的存在」(Spiritbeing)が実体化するのを見た。その「霊的存在」は彼らに言った。「あなた方とその家に対する災いだ。というのも、もっとも巨大な邪悪が「神の子ら」の種族に降りかかったり、汚されたからだ。「カダムハパ」(Kadamhapa)の継承は失われた。その女を汚す強い悪臭を放つ流れは、不釣り合いな混ざり合いに由来する。が、それがすべてではない。というのも、不健康や病気は不純な着床の熟成からもまた生じるからである。」

ダダムは言った。「誤りはこの女と共にあります。何ゆえに私も病気にならなければならないのでしょうか?」その「霊的存在」は答えた。「なぜなら、あなた方二人は今や一つのものとして病気の尺取虫 注7 なのであり、病気は両方等しく襲うからだ。が、あなた方は再びこの場所を汚すことはないであろう。これより後、もやのベールは我々の二つの世界をお互いに断絶する貫通不能な障壁となる。それ故にもはや人々は簡単に橋渡しをすることはできなくなる。今や、我々の間には、意思疎通の如何なる手段もなくなるであろう。これより後、男と女は、神聖な愛のうちに結合する定めではあるが、常に再結合を切望するにも関わらず、隔てられ別々になるであろう。彼らは一方を他方より裂き、炎を再び燃やすであろう結合を求めるが、彼らの努力がこの世のものごとの限界を乗り越えるのでなければ、無駄なこととなるであろう。男の霊は完全体より切り離され、悟らずの状態へ再び投げ出され、またそれは完全体との再結合を切望するであろう。火の粉は炎へ戻ることを求めるであろう。というのも、それ以外になんともならないからだ。運命の網は編み直され、運命の道は作り直され、人生の設計図は書き直される。再び、進歩は無知から始まる。誕生と死、苦しみと喜び、楽しみと悲しみ、成功と失敗、愛と憎しみ、平和と戦争、すべての光と影、そういったたくさんの色合いが見事に入り組んだこの世の人生のパターンを作り出す。これは新しい始まりであるが、純粋で抵当に入っていない始まりではない。既に負債と負担で重みをつけた始まりである。」

その「霊的存在」は続けた。「あなた方の故意と違反によって十分な邪悪を働いた。というのも、或るものごとを禁じている命令は、あなた方自身のためになることであったのだ。不死はほとんどあなた方の手に届く位置にあったが、あなた方はこの事を行ってしまったので、あなた方はより一層悲しむべき悪をあなた方自身そしてその承継者の上にもたらしてしまったのである。というのも、取り替えるための苦役が無ければ、あなた方やその承継者たちは進歩することができないであろうから。」 「神の子ら」は、「霊的存在」によってガーデンランドを追放され、その門には門番が配備され、誰も再び入ることができなくなった。そして、「霊的存在」はもやのベールの向こうへ退かせられ、水は流れるのを止め、肥沃さは立ち去り、荒野のみが残った。「神の子ら」は、 ダレムナ海」(sea of Dalemuna)に隣接する「マシュール」(Mashur)山の向こうの「アマニジェル」(Amanigel)の土地へ行ってそこへ居住した。

この時より先は、人間は独自の霊的似姿を形作った。ある者たちは、外見が自分たちにとってさえ忌まわしかったのだが、離れて行き、幸いにも暗い奥地に隠れて、自分たちの間で言った。「我々はここの暗闇に住んで、我々のような他の人のための場所を用意しよう。彼らが後を追ってくるとき、彼らはここに住み、我々の仲間となるために。」かくして「暗黒の地域」(Dark Regions)が形成され、悪人たちの醜悪に形作られた霊以外には無価値な悪党たちが居住することになった。

これらのことが記録に書かれてきた。 注8 「シボイト」(Siboit)においては、これが人間の作り方であると言われたものだった。「「神」は「彼」の創造を担う「名匠の霊」を地上へ下ろし、「それ」の反映が霊の欠けている体に引き込まれて、これが人間の心となった。」

これらは「ルディシアに住むミラのソニス」が彼の時代に書いた言葉である。

「あなたは私に人間とは何かと聞くので、私は答える。人間とは人生そのものを知るようになる人生である。彼は有形なるものを知る無形なるものであり、物質における霊であり、水における炎である。この議論が最初に始まると、誰も記憶に留めることはなく、ただ古い民間伝承が残るのみである。始まりがあり、そしてガーデンランド 注9 があり、そこで人間は自分自身を見出したのだ。これが起こる前は、彼は自由ではなく、彼の周りのあらゆるもののうちにあった。彼は背くことは出来なかったので、善も悪もあるはずがなく、存在しなかったのだ。」

「人間は自分自身を知ることを通して自由になった。そしてこの知識によって、獣とのいかなる類似性をも拒んだ。彼はこの世の物事についてもはや調和的な関係にはなく、断絶され、不満を抱き落ち着かず、彼は所属したいと望んだのだが彼が属する場所はこの世にはないと感じた。彼は神人として生まれ変わったのであり、それ故に人間は、生命の象徴である木の元で、ガーデンランドの中で、この世と霊のもとに生まれたとまったくもって言われた。」

「そこでは男と女の目は開いており、獣の上の存在として、彼らは獣とは違っていることを、そして息をする他のすべてのものから際立っていることを知っていた。彼らは自ら分離し、今や彼らの状態を恥じ、お互いに対しては見知らぬ人のようであった。劣った生物の肉体的な満足はもはや満足することはなく、彼らは「愛の源泉」(Source of Love)との接触を失ったが、何かが欠けていることを知っていたにも関わらず、それが何であるかを知ることはなかった。彼らは人間だけが知っている肉欲的知識へ陥った。というのも、彼だけが神性の叱責を感じるからである。彼らは「神聖なる物質」(Divine Substance)の吸入によって「満足の庭」(Garden of Content)から除去され、人間と非人間の間の障壁のために戻ることを許されなかった。」

ケイムリック(Kamelik)は書いた。「絡まったものがばらばらに切り離され、その日から満足を知ることはなかった。それらは休みなく踏み迷い、絶えず再び一つになることを求め、皆で永遠にこの世から失われた宝石と出くわす。」

ルピシス(Lupisis)は書いた。「虚無よりやって来たこの最初の女性は、永遠なる栄光に浴した女神であり、心を鼓舞する者、すべての男性によって崇められる女性らしさの理想、優美さと優しさの聖堂における尼僧である。彼女は、男の性質のため、常に彼の双子の影によってそそのかされる存在であり、彼の形質のなかの獣であるが、理想的な女性であった。もし獣が勝利をおさめ彼女が堕落すると、その理想の姿は幻滅の屈曲した衣で覆い隠され、男の心に何かが失われることになる。

これらの言葉も同様に存在する。「彼らは知恵のお相伴にあずかることはなかった。そして、知識の木からの果実は苦い。人間は彼らの本当の生得権を拒絶されている。人間の堕落は「神」との愛の接触から物質的肉欲への堕落であった。「神」の意識と共にあった魂は、物質の罠にかかることによって正気を失った状態へ堕落した。その堕落によって、人間は彼の霊的支持の源から断たれた。その後で、彼の努力は元に戻るために苦闘することとなった。彼の「神」へと向かう盲目の手探りにおいて、彼は堕落の後悪鬼どもを発見し、探索を続けるよりもそれらを崇拝する方が容易であることを見出した。」

「「神」は常に待っている。人間は見上げるだけで良い。しかし、丘を登るよりも下る方が容易である。人間の霊的信念を進化させるよりも堕落させるほうが容易である。人間のうち誰が真実を知り、確かな知識を著述することができるのか?これは完全に「法則」(Law)に反することではないのではあるまいか?始まりには、見て書くための人間は一人もいなかった。が、一つのことについてのみ我々は確かである。「創造する神」(The Creating God)はどのように、そしてなぜを知っている。そして目的のない「神」の行為はそんなに素晴らしいものであったのか?


脚注

注1:原語は"law of sowing and reaping"。人間は自分が蒔いた種を、責任をもって刈り取らなければならないという意味である。ここで言う「刈り取り」は現世においてすぐに発生するとは限らず、生まれ変わった時に生じるケースも多いであろう。仏教用語の「因果応報」が訳として近いが、原文の雰囲気を味わってもらいたいので、直訳した。

注2:原語は"Queen of Gardenland"。"gardenland"を「街」と訳してきたが、大文字で始まるので地名と考え、そのまま「ガーデンランド」と音で訳出した。

注3:原語は"cuckoochild"(カッコーの子)。直訳すると意味不明となるが、カッコウは托卵する習性があり、前後の文脈から判断すると、父「グウォーソンのアブリメニド」(Abrimenid of Gwarthon)によって育てられた「私生児」とするのが適当であろう。

注4:原語は"twinsight"(対の視野)。すぐ後を読むと分かるが、この世のものの外に、霊的なものもぼんやりと見えるという意味なので、「霊視能力」と訳出した。

注5:原語に意味不明で訳出不能なものがある。"wraiths and sithfolk"と"ansis and spiritbeings"の2か所だが、いずれも訳出可能な語("waith"や"spiritbeings")とそれぞれほとんど同じ意味を持つであろうと推定して、"sithfolk"と"ansis"の訳出を省略した。

注6:原語は"ankital"。全く意味不明な語であり、そのままカタカナ読みで音訳した。

注7:原語は"conkerworms"。しかし、これだと訳語が見つからない。"cankerworm"(尺取虫)の誤記と推定して訳出してある。

注8:この部分以降は、直前までの話とのつながりが全くない。おそらく後世の人が書き足した部分なのであろう。

注9:原語は"garden"であるが、内容から判断して"Gardenland"(ガーデンランド)のことであろう。

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