第二章 人類の誕生

「神」の愛は第三のベールを貫通し、「魂の海」の中で「魂の種」となった。「神」は水と地上の物から人間の体を作り、「生命の霊」を彼に吹き込み、彼が生きられるようにした。しかし、人は、揺籃期の間は、ただ飲み食いしたり姦淫を行ったりするために生きた。というのも、彼は地上のことしか意識になく、地上的なことや地上的なやり方しか知らなかったからである。

さて、「神の霊」が地表の上を動き回ったが、地上の一部という訳ではなかった。「神の霊」はすべてを保持し、すべての中にあったが、地上では何物からも分離することはできなかった。物質がなければそれは再び活気づき、物質に入ると活動を停止した。

かつて地上を彷徨った「天の人」、しもべ「エバン」注1 によって語られたことを考えてみよ。彼は地上の実体を持たず、地上のフルーツを掴むこともできなかった。というのも、彼は手を持たなかったからだ。口が無かったので彼は地上の水を飲むことができなかった。彼の皮膚に涼しい風を感じることもできなかった。「天の人」により導かれた類人猿の種族「セロック」がどのようにして「ロッドの谷」の前で炎によって滅ぼされ、ただ一匹の雌の類人猿が高いところにある洞穴へたどり着いて難を逃れたのかについて語られている。

「悲しみの洞窟」の中の雌の類人猿の為に「天の人」がよみがえった時、彼は地上の果物を味わい、彼女の水を飲み、彼女の風の涼しさを感じることができたであろうか?彼は人生は良いものだと感じなかっただろうか?こういった事はすべてが中庭で語られる話という訳ではないのだ!

地上の物質のみから作られた人間は、地上的でないものを知ることができなかったし、霊のみが彼を征服することもなかった。が、人間が作られなかったならば、誰が「神」の知恵と力を知り得たであろうか?霊が人間の体を満たしているように、「神」はその創造物を満たすのだ。

それ故に、「神」は地上的なものと霊を結びつける、そしてその両方である何かが必要であると知った。神の知恵において、そして地上を支配する創造的な衝動によって、「神」は人間のための体を用意した。というのも、人間の体は完全に地上的なものであるからである。

見よ、「霊」、それは「神」であるが、その「霊」が獣、つまり地上的なものと結合する偉大なる日がやって来た。その時地球は産みの苦しみの陣痛のうちに身もだえした。山は前後に揺れ、海は上下にうねった。地球は陸地で呻き、風で金切り声をあげた。そして川で叫び、嵐で泣いた。

かくして人類が生まれた、大変動と闘争のうちに。人類はみすぼらしくそして騒々しく現れた。心を取り乱した地球の所産である。すべてがちぐはぐで、雪が暖かい荒れ地に降り、肥沃な平原が氷で覆われ、森は海となっていた。かつて暑かった所は今や寒く、一度も雨が降ったこともない所が今や洪水となっていた。そのように人類は現れた。災難の子たる人間、創造的闘争の承継者たる人間、極端な行為の戦場である人間が。

地球は用心深い愛情で人間をはぐくみ、地球の奥まった所で慣らした。そして、人間が成長して十分に高められた状態となり、「神」の真っ直ぐさの中でで歩むようになったので、地球は人間を取り、他のすべての生き物の上へ立てた。地球は「神」の居所にさえ人間を連れていき、「神の偉大なる祭壇」へ人間を横たえた。

地上的なの限界のため不完全なものである人間、荒削りなもの、ぎこちなく無教養なもの、そうではけれども、自信を持って「神」に「地球の創造者」が提示された。人間は、地球の子であり、「神」の孫であり、地球が最初に生み出したものではなかったが、艱苦の相続人であり、苦悩の弟子であった。

「神」は、地球のその主への捧げものであり、「高貴なる祭壇」上で意識不明状態の、「神」への生贄であり、「運命の霊」への奉納物である人間を見た。その時、底知れぬ高みから、そして見通すことのできないベールの背後から、「神」がその「祭壇」の上へ降臨し、人間に「永遠の生命」の息を吹き込んだ。人間の眠っている体の中に、「神」は「彼」自身の断片、「魂の種」と「神性なる火花」を埋め込み、死すべき定めたる人間は「神」の後継者となり、不死の承継者となった。これより後、人間は「神」の地上的財産に対する支配権を得てきたものであったが、「永遠なる圏」もまた解明しなけらばならず、その宿命は果てしない探求と奮闘となったのであった。

人間は眠っていたが、「神」は彼の中の「大いなる目」を開いたので、卓越した栄光の幻を見た。彼は「神」の声が次のように言うのを聞いた。「おお、人間よ。貴方の手には今や貴方が継承した銘板が置かれており、「私」の封印がその上にある。貴方が心の中で望むものは貴方のものとすることができるが、最初にその価値を教えられることが必要である。見よ、地球は有用なもので満たされている。それらのものはある目的のために貴方の手に向けて用意されたものだが、それらのものを追求してその用途を学び取る仕事は貴方にかかっている。これは貴方の継承物のやりくりのための指導である。」

「貴方が善であると知ることを探求せよ。さすればそれは見つかるであろう。貴方は海の詳細を調べたり、星を掴みとっても良い。貴方は果てしない栄光のうちに生きても良いし、永遠の歓喜を味わっても良い。上にも下にも、貴方の周りのどこにも、貴方の手が届かないところはない。すべては、一つの例外を除いて、貴方が得るべきものである。」それから、「神」は「彼」の手を人間の上に置き言った。「今や、貴方は「私」と共にある。貴方が眠る時以外は。その時は「幻想界」のものごとに取り囲まれており、対して「私」は「実在」と「真実」の自由の中に住んでいる。「私」が貴方のところへやってくるのではなく、貴方が「私」のところへ手を差し出すのである。」

その後人間は、「光輝の圏」さえを取り囲む栄光の幻を見た。無限の知恵が彼の心を満たし、彼は完璧な美を見た。「真実」と「正義」の極限が彼の前に明かされた。彼は深淵なる永遠の平和を持つものとなり、絶え間ない喜びの至福を知った。

果てしない時の世代が彼の目の前に巻物のように広げられ、彼はそこにこれから生じたり起こったりすることのすべてが書かれているのを見た。「天界」の大いなる金庫が彼の上に広げられ、彼は永久不変の炎と消費し尽くすことの不可能な力がその中でせめぎ合うのを見た。彼は自分の中で言い表すことのできない愛がこみ上げてくるのを感じ、際限のない壮大な計画が彼の思考を満たした。彼の霊は制約されることなくすべての存在する圏を散策した。彼はその時「神自身」のようでさえあり、「三つの圏」の中の「七つの圏」に関する秘密を知った。

さて、「神」は「彼」の手を人間から持ち上げ、人間は一人となった。大いなる幻想は去り、彼は目を覚まし、夢の映像に過ぎないただ曖昧な掴まえ所のない記憶が残った。しかし、眠っている「魂」の中奥深くには記憶の火花があり、それは人間の中にそれが何だか分からない不断の渇望を生み出した。これより後、人間は不満のうちに彷徨うことを運命づけられ、何か知ってると感じることを追求するが、とどまることなく彼から逃れ、絶え間なく彼を駆り立て、ひっきりなしに彼をじらす何ものかを見ることができなかった。自分自身の中深くに、人間は自分自身より偉大なる何かを知っているという考えは、常に彼と共にあり、またその一部となり、彼をより偉大な功績、より偉大なる思考、より偉大なる大志へと駆り立てた。それは彼自身を超えた外側の何かであり、とうてい理解されることはなく、決して見いだされることはなかった。地平線上に輝きがみえるが、その輝きの背後の隠れた栄光をかすかに反映しているということを彼に物語る何かであった。

人間は目を覚まし、啓示と幻は去り、ただ地上の厳然たる事実たる荒々しい茫漠たる広がりだけが彼を取り巻いていた。しかし、彼が立ち上がり、その母たる大地の懐へ降りた時、押し寄せる巨大な力や目の前の大きな仕事によってくじけることはなかった。彼の心の中では、周囲のみすぼらしさの向こうに運命が横たわることを彼は知っていた。彼は堂々と、よろこんで出かけていき、やりがいのある仕事を受け入れた。

彼は今や新しい人間であり、趣を異にしていた。彼は上を見、「天界」の栄光を見た。彼の周りの美を見、地上のものではない美徳や物事を知っていた。永遠なる価値の幻が彼の内部の目の前に現れた。「神の霊」は環境に反応し、人間は今や人間であり、本当の人間となった。

地上の人間の性質は、「天界」のものごとの性質に従って形成され、人間は彼の内部に可能性として、神の命以外のすべてのものを含んでいた。しかし、彼は今のところ経験を積んでいない、訓練の欠如した子供であり、慰めとなる地球の懐を支えとして無邪気に養われていた。

人間は身長の点では成長したが、地球は人間をしっかりと鍛錬したので、手ぬるいわけではなかった。地球は常にきびしく頑固であり、しばしば不愉快さの雨嵐で人間を懲らしめた。こういったことは一人の偉大さへと運命づけられた者に対する全きしつけであった。彼は風邪をひかされて、服を着ることを学んだ。不毛な土地へ送り出され、彼の手足が強くなるようにした。森へ向かわされ、彼の目が鋭敏に、心が強くなるようにした。彼は面倒な問題で当惑させられ、「自然」のまやかしを解明する仕事を定められた。あらゆる類の苦難が彼に押し寄せた。彼は挫折で試され、誘惑にそそのかされた。地球は決してその監督の目を緩めることはなかった。

子供は厳格に育てられた。というのも、彼は目の前の仕事に適応するための男の胆力、勇気、巧妙さを必要としたからだ。彼は狩猟では手練手管で筋金入りに育ち、順応性があり、いかなる厄介な出来事をもうまくこなすことができた。

早い時期の混乱を乗り越えた後、彼は彼の周囲の難題に関する意味に気付いた。しかしそれでも知識の為の奮闘、適応の必要、そして生き抜く努力が和らぐことはなかった。「地球の子供」はよく訓練され、しつけられ、彼は決して過度に甘やかされることはなかった。彼はパンを強く求めて飢え、震えて投げ出され、風邪をひき森へ追いやられた。嵐に打たれて疲れ果て、水が干上がったのを見つけては喉がカラカラとなった。弱っている時に彼の苦しみはいや増し、歓喜の最中にあって悲しみに打ちひしがれた。衰弱に際して彼は「もう十分だ!」と叫び、彼の運命に疑惑を抱いた。しかし、常に何かが彼に活力を与えて元気づけ、「地球人」は決して神々しさを手放すことはなかった。

というのも、人間は人間であり、脅されていたわけではなく、彼の「霊」が壊れていたわけでもない。賢い「神」は人間の限界を知っていた。人間の知恵に書かれているように、「過度に懲らしめる事は、まったく懲らしめない事と同じ程度悪いことだ。」しかし、人間は滅多に懲らしめられることはなかった。彼は試みられ、試練を与えられ、挑まれた。彼は導かれ、せっつかれ、駆り立てられたが、それでも何も不必要になされたことはなかった。地上の見せかけの不完全さは、つまり人生の危険や不平等、無慈悲、厳しさ、苦痛や悲嘆に対する見かけの冷淡さなどは、見た目通りのものではない。そのままで、地球はその目的のために完全無欠である。その目的に関する無知によって、それ(地球)が不完全であるように見えるのである。

「神の霊」よりも賢い父は、あるいは地球よりも優れた母はどこにいるのか?人間の現在の有りようは、これらのことのおかげであり、人間が当然にありがたく思うことができるようになりますように。何にも増して、人間が成長する過程で学んだ教訓を決して忘れさせることがないように。


脚注

注1:初出の人物の名前には「」(鍵括弧)を付与する。その人物が物語の主役であり、何度も出てくるときには、以降鍵括弧を付与しない。

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