第一章 創造

人間の知識は人間の無知によりその境界線を囲まれ、人間の理解力は霊的実在によって限界を定められている。死すべき定めたる人間が、その観念を超越したものを理解しようと試みることは、分別のないことである。というのも、不信と狂気の道がそこに横たわっているからである。けれども、人間は人間であり、常に自分自身の理解を超えたところへ手をさし延ばすことを運命づけられていて、常にその理解をかろうじてかわすものを手に入れようと奮闘する。そして、挫折のうちに、人はおぼろげに見えた理解不能なものを、その理解力の範囲内のものと取り換える。もし人間の理解したものが実在を非常に不完全であれ反映しているのであるならば、実在の反映は、歪んでいるかもしれないが、全く反映がないのと比較して、より大きな価値がないと言えるのであろうか?

地上には本当の始まりはない。というのも、ここでは全てが結果であり、究極の原因はどこか他にあるからだ。というのも、人のうち誰が、種と植物のどちらが最初にあったのかを言い当てることができるのか?けれども、実際はどちらでもない。というのも、種でも植物でもない何かが両方よりも先に存在したし、そういったものでさえなお、何か他のものによって先行されていたのである。常に原初へと立ち返る祖先があり、そこを超えたところには、「神」注1 のみがある。そういうわけで、「炎の子らの偉大なる書」においてどのようにこういったことが語られたのかについては、次の通りなのである。

始まりの前には、ただ一つの意識があった。「永遠なる者」の意識であり、その性質は言葉で言い表すことができない。それは「唯一の霊」、「自己を生み出す者」であり、減衰するはずがない。「知られざる、不可知なる者」であり、何かを生み出す力に満ちた 注2 深淵なる静寂において、ただ一人思案していた。 発音される名前はこの「偉大なる存在」のものであるはずがなく、それは名状しがたいままであり、始まりでありかつ終わりであり、時間を超越し、人間の手の届かない存在であり、そういう次第で我々は簡単のためにそれを「神」と呼ぶ。

すべてに先んじて存在する「神」は、その奇妙な永遠の光の住処に単独で存在した。その光は決して消すことができないままであり、いかなる理解力のある目であってもそれを見ることができない。「神」が保有する永遠なる生命の光の脈動する設計図は、未だ解き放たれることはなかった。「神」は「彼」自身のみを知っており、何者とも対比されることはなく、無の中で現れることができなかった。というのも、「神の存在」の中のすべてが、表現されていない潜在力であったからである。「永遠の偉大なる圏」は未だ飛び出してくることもなく、物質の状態で終わりなき時間の存在として投げ出されることもなかった。それらは「神」と共に始まるはずであり、無限の変化と表現のうちに完結した状態で「神」へと戻るはずであった。注3

地上はまだ存在していなかった。地面の上に空と共に風はなかった。高い山々は隆起しておらず、大きな川がその場所を占めていることもなかった。すべてに形がなく、動きがなく、穏やかであり、静かであり、うつろであり、そして暗黒であった。どのような名前も付けれれたこともなく、どのような運命も予示されることはなかった。

永遠なる休止はやり切れず、表現されない潜在力は欲求不満である。「神聖なる孤独」が悠久なる寂寥境へ密封され、注4 これから「神」は自分自身を表現し、知ることができるかもしれない創造的欲求が生じ、そしてこれが「神の愛」を生み出した。「神」は熟考し、「彼」自身の中に、まどろむ霊の永遠なる実在を含む「全世界の創造の母胎」を生み出した。

その実在は「神」の精神からのさざ波によって活気づけられ、創造的思考が投射された。これが光を作り出した力を生み出し、その力は不可視なるちりのもやに実体のようなものを形成した。それは、「神の霊」の吹き込まれた存在を通じて二つの形態のエネルギーへ別れ、「全世界の母胎」の中の混沌たる虚空を活気づけ、実体の渦巻きの中へと飛び出した。この活動から、炎から火花が飛び散るように、無数の種類の霊的精神が生じ、各々がその中に創造的な力を持つこととなった。

始動させる言葉が響いた。その反響は静寂を揺れ動かし、かき乱す動きが生じて不安定状態を引き起こした。命令が言い渡され、これが「永久不変の法」となった。これ以降、活動は調和した律動によって制御され、当初からの惰性的な動きは克服された。「法」は実体化する混沌を「神」より分離し、「永遠なる圏」の境界を確立した。

時間はもはや「神」の中でまどろんでいることはなかった。というのも、以前はすべてが不変であったところにおいて、今や変化が生じ、変化は時間である。今や「全世界の母胎」の中は熱くなっており、物質と生命があり、それを取り囲んで「法」である「言葉」があった。

命令が言い渡された、「最小なる物が一番大きなものを形作り、一瞬のみでなく存続するものが永遠を形作れ。」この様にして全世界は神の思考の凝縮物として出現し、そうなるにつれ、確固となった「神」の創造物の中に封じ込められたすべてから、「神」を覆い隠した。これより後、「神」は隠され、常に「彼」の創造物の中にぼんやりと反映され続けてきた。「神」は「彼」より生じたすべてのものから隠されるようになった。創造はそれ自体を説明しない。「法」の元でそれは不可能であり、その秘密は創造者によって明らかにされなければならない。

すべてのものはその性質として有限である。始まりがあり、中間があり、そして終わりがある。成し遂げられない目的は永遠の挫折となるであろう。それ故に、世界は目標を持たなければならないように意図的に作られている。もし世界が他に何も続くことなく終わったのであるならば、存在する「神」は世界の活動に対し無関心にまどろむに違いない。しかし、「神」は世界を、変わることなき「法」の元に動作する偉大なる活気のある作品として作ったのだ。

創造の言葉が響いた。今やもう一つの命令があり、出てきた力が太陽を強打したので太陽の顔は明るくなり、強い放射を伴い輝き、その妹である地球の上に暖かさと光を注ぎ込んだ。これ以降、地球はその兄(太陽)の世帯の庇護のもとに存続し、太陽の好意と力を喜ぶこととなった。

地球内部の水は集められ、乾いた陸地が現れた。水の覆いが押し戻された時、地球の表面は不安定であり、じめじめとしており、柔らかかった。太陽の顔はその妹(地球)の上に優しく照らし、地球の表面の乾いた土地は非常に硬くなり、湿気や水分は取り除かれた。太陽は地球へ羊毛の上着と素敵な亜麻布のベールを与え、地球がその体をしとやかに着飾るようにした。

「偉大なる母胎」より「生命の霊」が躍り出てきて、「天上界」を暴れまわった。地球をじっと見つめ、その美しさを見て、情欲に満たされ、そして地球をものにしようと天上界からやってきた。恋人として穏やかにではなく、略奪者として激しくやって来た。その息遣いは地球の回廊に沿って唸りたて、その山の頂で暴れまわったが、地球の「霊」の住処を見つけることはできなかった。地球は、女性が暴力から退くように退いていた。というのも、しとやかな者は、服従のうちに犯されてはならないからだ。それでも地球は「生命の霊」の抱擁を望んだ。というのも、すべての「晴れやかな仲間」の中で、地球が見初められたからだ。

太陽は地球の当惑を見て、「生命の霊」と格闘して打ち負かした。「生命の霊」が征服され、主要な戦闘が止んだ時、太陽によって「生命の霊」は地球へ引き渡された。「生命の霊」はおとなしくさせられ、鎮められ、静かに地球の海の上に垂れ込み、それに応じて地球は動いた。潜在的な生命となる泥の卵が、地面と二つの海が出会う場所にある沼沢地に形成された。太陽は生命活動を始めさせる熱を提供し、そして地球の懐で生命が這い出てきた。

陸地のちりは雄を、暗い水滴の霧は雌を生み出し、それらは結合し繁殖した。最初のものが二番目のものを生み出し、それら二つが三番目のものを産した。地球はもはや処女ではなく、「生命の霊」は歳をとって死んだ。地球は、地表を覆う緑色の草の夫人の外套で装った。

海は魚や動き回ったり、よじれたり、のたうちまわる生き物や、蛇、昔の恐ろしい外観の獣、そして這い回る爬虫類を生み出した。恐怖をまとった醜悪な形をした背の高い歩くものや竜がおり、その巨大な骨はまだ見ることができるかもしれない。

次いで、「地球の母胎」から野や森のあらゆる種類の獣が現れてきた。すべての創造した生き物たちは、その体に血液を持っており、完結したものであった。獣は乾いた地面を徘徊し、魚は海を泳いだ。

空には鳥がおり、地中には虫がいた。

巨大な陸塊や高い山々があり、広大なる不毛な土地や隆起した水域があった。肥沃な緑が陸地を覆い、豊富な生命が海中で群れを成した。地球は今や生命のエネルギーと共に脈動したのだから。

金属は地球の岩石中に隠れて埋もれており、貴重な石は土中に埋もれていた。金や銀は散在し、その場所は秘められた。道具の為の銅や立木用の森があった。葦の茂る沼地があり、様々な用途の石があった。

すべてが整えられ、すべてが準備され、今や地球は人類の登場を待つばかりであった。


脚注

注1:"God"(大文字で始まる)は造物主のみをさす言葉であり、その訳出を「神」(鍵括弧付き)とする。後の方で、"god"(小文字で始まる)という単語がでてくるが、それは人間が通常崇拝対象とする、より細かな機能単位に分類された個別のものであり、その訳出は鍵括弧なしの"神"(もちろん、引用符も無し)を充てる。

注2:原語は"pregnant"。直訳すれば「妊娠した」との意味となるが、この場合は何か(=世界を作る原材料)で満たされた状態を指している。そこで、「何かを生み出す力に満ちた」と訳出してある。

注3:世界は一度創造され、世界の終わりの時に再び「神」の中へと取り込まれると言われている。

注4:原文は"Into the solitude of timelessness can Divine Loneliness and from this arose the desire to create, ..."とあるが、andの前の文は非文法的。"from this"は"the solitude of timelessness"を指しているものと解釈して、andの前を、"Into the solitude of timelessness canned Divine Loneliness"と読み替え、「神聖なる孤独」が悠久なる寂寥境へ密封され...とすると同時に、等位接続のandを省いて、この句を叙述的な形容詞句として訳出した。

Copyright© 2015-2022 栗島隆一 無断複製・転載を禁ず