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著作者性

 この書 注1 の様々な部分が明らかに異なった時代に属するので、 著作者性の相違は、必然的に予期するに至るところのものであり、そしてこの点について、実際に、疑惑の影は存在し得ない。最も初期の部分の原著者は、あるユダヤ人であり、彼は、バーキット(Burkitt)が示したように、パレスチナ北部の、ヘルモン山脈の南西にあり、ヨルダン川の源流付近にあるダンの地に住んでいた。この書あるいは書々が確かにパレスチナのものであり、それ故にパレスチナのユダヤ人たちの間で回覧されていた事を示すのに資するので、これは重要な点である。「もし更に、原著者が北方より来たのであるならば、それは、ガラリヤにて発祥したその書がユダヤ教に及ぼす影響を説明するのに役立つ事となる。」 注2 エノク書へと編纂されたその他の三つの書(すなわち「夢幻」、「天空の星々の書」および「たとえ話」)の原著者たちについて、我々は、彼らの宗教的見地について、彼らの文章から拾い集める事が出来るものを除けば、何も知らないのである。

 チャールズは、著作者性の単一性が無いとは言え、それでもなお均一性があると考えている。というのも、彼の言うところによれば、すべての書がハシディーム(敬虔派) 注3 、あるいはその継承者であるパリサイ派によって書かれた。この主張は、レジンスキー(Leszynsky)によるサドカイ派に関する最近の著作 注4 において、強力な言葉で攻め立てられ、そして非常に弱められた。この書の複合的な性質を率直に認識しながら、レジンスキー(Leszynsky)は、その元の部分 注5 は、サドカイ派の社会から広まったのであり、また、その書の特別な目的は当初、暦の改訂をもたらす事であったと考えている。彼は、その主張を支えるものであるとして、エノク書の帰属に注意を向けている。というのも、エノクは365年間 注6 生きた。すなわち、彼の年齢は太陽年の日数と関係するのである。歳月を数える基準は、パリサイ派とサドカイ派の間の根本的な相違点の一つであった。というのも、前者は太陰年(360日)で数えたのに対し、後者は太陽年にて数えたのである。ここで、バーキット(Burkitt)の特筆すべき見解を想起するのは有用である。すべての黙示録の書に付与される偽の肩書に関する彼の著作において、彼は次のように述べている:「偽名を用いた著作者性には、私がそれについて十分な注意が払われてきていないとあえて考える、もう一つの側面がある。それはこうである、すなわち著者名は単なる気まぐれから選ばれた訳ではなく、それはある程度、どのような題材が取り扱われているかを、そして書き手の視点を示していた。」 注7 さらにまた、「エノクは神と共に歩んだ。しかも、彼はそうではなかった。というのも、神が彼を連れて行ったからである。」という事実、 注8 すなわち、彼が天上へと昇った事実もまた重要である。というのも、彼はそれによって、まさしく天空の星々のすべてについて知る一人となったであろうし、彼はまさに天文学の問題を取り扱おうとしてる書のもっとも適切な著者であった。「もとの著作のサドカイ派的性質は、」レジンスキーは述べている、「暦に関する論考の中に最も明瞭に見受けられる。次の引用にもある第72章(lxxii.)から第82章(lxxxii.)は、正当に天文学の書と呼ばれている 注9 :『天の星々の推移の書、その種類に応じたそれぞれの関係、その名称と出自に応じた、そしてその暦月に応じたその支配とその季節。...世界の全ての年に関してかつ常しえに、永遠に忍ぶ新たなる創造が成就するまで、どのようになっているのかを彼が我々に示したところのものである。』(第72章1)。これはほとんど、まるでヨベル書の著者が書いたものであるかのように聞こえる。著者にその天文学理論の説明を強制させる単なる科学的な関心だけではない事は、その章の結びの言葉から見て取る事が出来る:『祝福されるはすべての正しき者たちであり、祝福されるは正しさと過ちの道を歩むすべての者たちであり、その過ちは...三十日に渡り太陽が天空を横切り、門へ入り、そして門より出ずるのである。』(第82章4-7)ここに極めて明白にその著者の意図を認める事ができる。彼は太陽年の採用を望んだが、しかし一方、彼の同年代の人々は間違って別の数え方に従っており、その結果祝祭を誤った時期に挙行していたのである。『年の数え方において罪を犯す罪人たち』はパリサイ人たちであり、そしてその名称が暗示するように、正しさ(Zedek)の道に従い歩み、祝福される正しき者たち、『ツァディキム(Zaddikim)』 注10 は、サドカイ人たちである。」 注11 その論点は我々にとって小さな事に思われるかもしれぬが、我々はそれを二世紀の間のキリスト教会での十四日派論争と比較する事が出来る。いずれにしても、サドカイ人による「天空の星々の書」の著作者性を支持する視点が強固な主張となる。

 エノク書のマカバイ戦争以前の部分(そのかなりの部分がマカバイ戦争以前のものであると仮定して)は確かに、ハシディーム(敬虔派)に帰属するに違いない。が、そのもっと後の時代のすべての部分が、そういった理由によりパリサイ人に帰属するとする必然性はない。これに対しては三つの論点が特に影響する:メシアに関するいくつかの教義。これは一般論として普遍主義的な霊であり、それは極めて非パリサイ派的なものである。さらに、パリサイ派的なものではない律法に対する姿勢。また、いくつかの部分(例えば第102章 6およびそれ以降)がパリサイ人たちの手によるものである事は否定されないが、現在のかたちにおけるその書全体が、一人または複数のパリサイ人によって手が加えられてきた事を疑う事もまた出来ない。しかし、マカバイ戦争以後のすべての部分がその原型でパリサイ人社会から広まったという事は、証明されてきていないように見受けられる。すでに言及した例外と共に、この書の様々な構成部分は、パリサイ派社会に、更にサドカイ派社会にも所属しない黙示録の作者たちによって書かれたと見るのがより適当である。


【注記】

注1 : バーキット(Burkitt)は、我々はその集合体を「エノク書」ではなく「エノク書々」として語るべきであると、正しく主張している。

注2 : Burkitt, op. cit., 28-30.

注3 : つまり、「敬虔なる者たち」または「聖徒たち」

注4 : Die Sadduzaer (1912)

注5 : つまり、彼によると、i.-xxxvi., lxxii.-lxxxii., lxxxiii.-xc., xci. 12-17, xciii

注6 : 創世記 v. 21-23を見よ

注7 : Op. cit., p. 18.

注8 : 創世記 v. 24.

注9 : すなわち、チャールズがそう呼ぶように「天空の星々の書」

注10 : つまり、「正しき者たち」。'Zaddukim'、'Zadok'の息子という言葉をもじったもの。つまり、サドカイ人たち。

注11 : レジンスキー, op cit., pp. 253 ff.

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